見出し画像

『擬娩』俳優レポート|岸本昌也

したため#7『擬娩』(2019年12月)の出演者に、『擬娩』という作品の経験についてレポートを書いてもらいました。執筆時期は2020年の年末から2021年の初頭、上演からちょうど1年が経ったころです。その後、『擬娩』は2021年秋にKYOTO EXPERIMENTにて再創作版が製作され、そして来る2023年2月には東京での再演が計画されています。
岸本昌也さんは、2019年の『擬娩』初演、2021年のKYOTO EXPERIMENTでの再創作版、そして2023年の再演にすべて参加している唯一の俳優です。




『擬娩』俳優レポート|岸本昌也

「擬娩」とは
これらの習俗は、子供の父が、子供の出産当時あるいはその以前又は産後のある期間、自分の床につき、節食に服して、しかも、その妻ではなくて、彼が分娩の苦痛を受けているかのごとく、一般に振舞うべき事を必要としている。その完全な形態においては、擬娩を遵奉する夫は、自分の床について、産褥にいるふうをし、時には、うめいたり、顔をしかめたりすることによって、分娩の諸々の苦痛を真似ることさえし、また時には、その妻の衣類を着ることさえある。

『擬娩の習俗』(著:ワーレン・アール・ドーソン/訳:中西定雄/1929年)より
photo: Yuki Moriya

『擬娩』のクリエイションがもたらしたもの


したための『擬娩』は2019年12月に京都と沖縄で上演しました。
上演の10ヶ月程前、演出の和田さんから「こういうテーマで作品を作ろうと思っている」と聞いて、初めて「擬娩」という習俗について知りました。「擬娩」という文字変換は1度の変換で出ませんし、Wikipediaにもたったの二行しか解説が載っていない、当時の私にとっては謎に満ちた面白い習俗。クリエイションに向けて大きな山を登るのだな、という気分でした。
上演の2ヶ月ほど前から京都を拠点にしてクリエイションが始まりました。まず、最初に始めたことは妊娠出産について調べ、考えることでした。私は男性の体に生まれたので、子宮がありませんし、生理も来ませんし、妊娠もできません。作品の冒頭で「生まれたことがありますが、産んだことはありません。」という宣誓のようなセリフがありますが、まさしくクリエイションの最初は自分が「生まれた」という事実しかわかっておらず、その他の生まれること・産むことについてはほとんど何も知らない、曖昧な情報しか持っていない、という状態でした。
また、何をもって男性の体であると言えるのか言えないのか、何をもって女性の体であると言えるのか言えないのか、はたまた、そもそもどちらかであると言及することはできるのか、というようなことも考えました。
『擬娩の習俗』という文献を読んだり、出産にまつわる歴史を調べたり、雑誌「たまごクラブ」を回し読みしたり、男性キャストは生理日予測アプリ「ルナルナ」をスマホにいれて生理や排卵や体調の変化を疑似体験したり、稽古場に妊娠出産経験のある方に来ていただきお話しを伺ったり、妊婦体操なるものを調べ実践したり、いろんな出産の方法・出産体験を調べ聞いたり、と膨大な情報量に埋もれてしまいそうになりながらクリエイションは進み、メンバーの中に妊娠出産にまつわることが満ち満ちてゆきました。
 
妊娠出産にまつわる事柄を調べ考える以外に、自分の状態を再確認する作業も行いました。顔貌や遺伝的な情報について、身体的な特徴・クセ、過去の怪我のことといった、自らのエピソードを「生まれた」という歴史をたどりながら自身にマッピングしていく過程は、私の場合は、男である「からだ」と「かたち」を確かめる作業でもあったように思います。

photo: Yuki Moriya

『擬娩』的な行為


 「擬娩」は「自分ではない他者の状態を想像し、その状態を模倣する。その状態に擬態する。」という演劇的なフレームを持っています。そのフレームを使って、見聞きした妊娠にまつわる事柄が自分の身に起こったら?と想像し、「妊娠」を自分の身にインストールする作業を繰り返してゆきました。
「妊娠にまつわるこういうことがありましてね、それを私、聞いたんです。いまらかそれを自分の体を使って再現してみます。自分が妊娠したらこうなるかもしれない、という想像を膨らましてそれを発表します。圧倒的な未経験なので、わからない部分がほとんどで、それを痛感しています。できるだけ過不足がないようにしたいと思います。色んな人や情報に想像力を支えてもらいました。頑張ります。」というマインドで取り組んでいました。
妊娠にまつわる事柄は、私にとって借りてきたものであり、自分の中に仮設されているものなので、勝手に自分の所有物にしてしまわないことを意識する、という感覚が常にありました。所有物にした瞬間に、自分の都合のいいように捉えてしまい内容が変容してしまうような気がしました。
妊娠出産の当事者として内包すること、そして、妊娠出産を見聞きしたものとして距離感を保ち続けること。その双方がすごい力で引っ張り合う状態をずっとドライブしている気分でした。その不安定で緊張感のある状態のドライブは公演が終了するまで変わりませんでした。
他の出演者がこのように感じていたかはわかりませんが、私にとっての『擬娩』への取り組みはこの「伝聞状態」に帰結すると思いました。

photo: Yuki Moriya

経験と未経験


毎回の稽古の最初に、こんなワークをしていました。
[出演者Aが過去に起こった自分の身の上話(例えば、今日の朝食の話や、昨日の仕事の話、以前事故にあった話、好きな音楽の話、パートナーや家族の話など)を話し、それを聞いた隣の出演者Bが、Aの状態や雰囲気を模倣しながらAが話した内容をもう一度話す。]
これは、前述の「自分ではない他者の状態を想像し、その状態を模倣する。その状態に擬態する。」というフレームに沿った簡単なワークです。他者から借りている情報をできるだけ借りたままの状態で保持するためのシンプルかつ大事な作業だと私は捉えていました。
経験者Aから未経験者Bへの情報の伝達はとても面白いものでした。AとBは顔も形も違いますし、性別も違う場合があります。覚える時間もわずかなので、再現されない部分や間違ってしまう部分があります。経験者Aは自分の感じた音・景色・匂い・温度・人の表情・色など事実に基づいた話ができますが、未経験者Bは見聞きした以上の情報はわかりません。未経験者Bは話を再現する上で足りない情報をAの状態や雰囲気から想像し、模倣作業を続けていく。このような、未経験者が「想像して、伝達する」、そして「伝聞状態」をキープしようとする姿勢は『擬娩』の創作の根幹になりました。
 
京都公演を終えた約一週間後、沖縄公演の劇場で、和田さんから「公演を重ねていくうちに、それぞれエピソードがより自分の中に浸透し、言いやすくなっていたり、過度になってしまっている部分があるかもしれない」というアドバイスがありました。これは、借りたエピソードが自分の中で一人歩きして、自分のものとして扱っていませんか? という指摘だったように思います。アドバイスの後は、やはり先程のワークを行い、『擬娩』の状態を整えました。

photo: Yuki Moriya

現代の「擬娩」


未経験のもの、未知のものを理解するために、そのものを擬(なぞら)えてみる。
私が『擬娩』で行ったのは、自分とは異なる性別・将来おそらくできないであろう妊娠という経験を、自らに代入して、境目を飛び越え、自分ではない人や事柄にちょっとでも近づこうとしてみる、ということでした。
 
『擬娩』チラシには「分断に取り囲まれたわたしたちに残された手立ては、想像力の再起動だ。」とあります。
公演が終わってから一年が経ちました。いいニュースなんてほとんどなかったのじゃないかと思える一年でした。ますます分断は進み、無理解な言葉が行き交い、物理的に会えない毎日が続きます。思案しても仕方がないこと、自分の想像力だけでは解決できないこともたくさんあるのですが、分断に差し当たったとき、その「残された手立て」を手に取ることができると思うと少しは気が楽になります。

2021.2.14 岸本昌也



したため#8『擬娩』
日程
|2023年2月9日(木)~12日(日)
会場|こまばアゴラ劇場(〒153-0041 目黒区駒場1-11-13)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?