周囲の求める努力をしなければ努力として認められてこなかった話

子どもの頃から絵や文章を書くことが好きだった。もちろん、好きだからといってそれらは簡単に感じることはなくて、もっと良いものを作るにはどうしたらいいか悩みながら取り組んでいた。
それは私にとっては立派な努力だったし、他を疎かにしていたわけではない。
でも、親矢同居していた祖父母からは「また自分の好きなことばかりやって、やらなければいけないことから逃げている」と詰られていた。
辛かった。
親や祖父母が幼少期から私を人間扱いせず、自分の都合のいいように歪めようと必死なことを知っていた。
それなのに、大人は自分が正しくてお前ら子どもは間違っていると覆すことができない「生きてきた年月」を盾に間違いを押し倒そうとする。
許さないし、心が壊れそうだった。
それでもまだ、私は絵や文章が好きで、いつか仕事にできたらいいなと考えている。
ただ、周囲の大人に応援されてきたであろう同年代の人間との格差を強く感じることがある。
悔しくて仕方ないし、私はいまだに「自分にはできない」という刷り込みに苦しめられている。
助けてほしい。もうここから解放されたい。お願いだから、私を脅かさない人間がいるところで生きたい。

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