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<自己紹介>私はこうして外国に流れ着いた。

初めまして、紫蘇です。

身元を明らかにしないまま人身売買やら旅行やら怪しげなnoteばかり書いていますが、現在は中国で健全な仕事をしています。

私は大学を卒業してからアメリカ、シンガポールそして中国と、長い間外国で生活をしてきました。こう書くと、若い頃に「外国を拠点に活動するぞ」という決意を私にさせるような大きな何かがあったのだろうと考える方もいるかもしれません。しかし思い返しても何も見つかりません。

ただ、気がついたら外国での生活が長くなっていました。

大学3年生の頃、それまでアルバイトして貯めたお金でイタリアとスウェーデンに旅行しました。すごく楽しかったです。日本にはない綺麗な物もたくさん見ました。「成人式に振袖着るより価値があった」と思えるほどの旅行でした(この旅行のために成人式の帰省・振袖レンタル等一切諦めて貯金していました)。確かに心を揺さぶられる経験をしたと思います。

でも、帰国した私は関空のカフェに入って一息つき、「やっぱり日本っていいな」という陳腐な考えで旅行を締めくくりました。

それなのにその後、前述のように色々な国での生活が始まります。旅行ではなく生活です。ホテルではなく自分だけの家を持ち、気ままに観光するのではなく毎日朝から夜まで仕事をする。人生を日本の外に移したのです。

日本以外での国の生活にストレスを感じることはありませんでした。料理が口に合わないとか、言葉が通じないとか、たまにそんなことはありましたがそれすら楽しめる時がありました。

3年程外国で過ごした後、一旦日本に戻りました。その時にしていたのが人身売買の片棒を担ぐ仕事(外国人技能実習生の管理)でした。詳しくはこちら。


私の業務は雇用契約書には「外国人への日本語講習」と書かれていましたが、実際には彼らの管理全般を任されていました。生活のことも仕事のことも。色々な外国人を見てきました。色々な日本人も見ました。技能実習生たちを自分の子供のように可愛がる人もいれば、安価で働く口答えしない便利な道具としてしか考えていない人もいました。

私が見た日本人は残念ながら後者が多かったです。
モラハラ、セクハラ、窃盗、失踪、刃傷沙汰……これまでの私の人生にはなかった事件が次々と起こりました。

そのうちに、
「やっぱり日本っていいな」
という気持ちがだんだん薄れてきました。

それからしばらくして、私が日本語を教えた技能実習生のひとりが自殺しました。

以前よりいつか辞めようと思っていた仕事でしたが、これが決定打となり、私は再び外国で働くことにしました。
そして現在に至ります。

私が外国で働いていると言うと、たくさんの人が「すごいね!」と褒めてくれますが、

外国にしか働く場所がない

というのが本音でした。謙遜ではなく本当にそう思います。日本で長く働いている人の方がはるかにすごい。私には到底できない。

そういうわけで今も日本から逃げ続けています。

ただ前より色んな事を知った私は、誰かの役に立ちたいとぼんやり考えるようになりました。今は長期休みの度に帰国し、日本に住む外国人の相談相手になったり、外国で仕事をしたい日本人の相談相手になったりしています。
たまに、日本語教師になりたい人たちに講習を行ったりもしています。

私と同じように、どこかへ逃げるしかない人たちになけなしの知恵を貸せるようになりました。その知恵はすごく役に立つものではないし、一瞬で世界が変わるような即効性もない。ただ「何とかなる」とほんのり安心できるだけ。

そうやって生きづらいと思う場所から逃げても、何とかなるので。

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