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秋を迎える前に

まだまだ残暑が続く9月の終わり。
秋の気配はうっすらにしか感じられないが、夏と秋の狭間である今、この記録を残しておこうと思う。

6月に祖母が亡くなり早くも3ヶ月が経った。
新盆を迎え、秋のお彼岸には父とお墓参りに行った。

祖母が緩和ケア病棟に入院したころは梅雨が始まる時期だった。部屋の窓から見える青々とした木々や、今にも雨が降りそうなどんよりとした雲が印象的でよく覚えている。
祖母は本当に強い人だった。そして、その生き様を最後まで見せてくれた。介護を必要とする体であるのにもかかわらず、自力でトイレに行こうとしたり、病棟が異世界の場所であるという祖母なりの認識で、ベッドで寝たきりになっている状況をなんとかしたいという思いを一生懸命伝えてくれていた。
そんな祖母のために、限られた面会時間を充実したものにできるよう工夫を凝らした。励ましになるようお手紙を書いたり、外の景色が簡単に見られないことから写真を撮って見せてあげたりした。そういった刺激に反応がある日もあれば、意識が朦朧としている日もあって、日に日に時期は近づいている自覚はあった。

ある日、祖母に学校の近くの紫陽花の写真を見せた。
記憶が混乱していてうっすら閉じてた目を見開いて、写真をまじまじと見て、「きれいね〜」と言ってくれた。いつも痛みに耐え、辛そうな表情を浮かべている姿からは考えられないくらい、顔色が明るくなり、こちらも嬉しかった。
その面会後も何回か会って、ぼくに伝えてくれた言葉を最後に祖母は息を引き取った。
棺には紫陽花の写真を残し、いつまでも励みになってもらえるよう思いを込めた。

そして、つい先日その紫陽花の前の道を通った。
紫陽花の隣には、金木犀の木がある。もうそろそろ咲いてもいい時期なのに、まだなかなか香りを運んでくれない。
と思ったのと同時に、紫陽花がないことに気がついた。全て狩られて、更地になっていたのである。

率直に、とても悲しかった。
これからも毎年その紫陽花が咲くのを見られると思っていたし、ぼくと祖母を繋ぐものがなくなった気がして寂しかった。早くももうすぐ、金木犀が香る時期になれば、夏だけではなく、その次に待つ秋を通して祖母を思い出せるきっかけになっただろうと思う。それはぼくも祖母もきっと同じなはず。

本当に悲しかったけど、仕方ない別れだと思う他ない。
秋は別れの季節だと言われ、余計に今後の生活に不安を煽らせている。たとえそういったことがあっても、自分らしく置かれた場所で咲けますように。
どうか実りのある日々になりますように。

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