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今だからこそホロライブを、そしてときのそらを追想したい

2020年01月24日
東京都江東区豊洲

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ホロライブ1stワンマンライブ「ノンストップ・ストーリー」が豊洲PITにて開催されたのは記憶に新しい。
ホロライブとして初となる全体ライブは大熱狂を以て大成功となり、それぞれの推しの晴れ舞台を目の前にして声を枯らす者、感涙する者、燃え尽きて只管立ち尽くす者……最大のエモーションが渦巻く会場の熱は、まさしく夢を見ているような――夢が叶えられたような時間を大勢の人々にもたらした。

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『夢見る空へ』

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『キラメキライダー☆』

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『Shiny Smily Story』

3つの全体曲をリリースし、2度目となる秋葉原アトレとのコラボを経て、メンバー一人ひとりの躍進、そしてホロライブという箱としての躍進を肌で感じるこの頃。だが過去が未来を想像し得ないのと同様に、今の輝けるホロライブを知る私達は、時々過去を忘れてしまうことがある。
眠りの中で見た夢の殆どは時が経てば忘れてしまう。だが時々、どうしても忘れたくない感傷的な夢を見ることがないだろうか。
私はそれと同じ感覚を「ホロライブ」に、そしてホロライブの始祖たる「ときのそら」に抱いている。

ほんの小さな希望にこの瞳奪われた

2019年3月27日にビクターエンタテインメントから自身初となるアルバム『Dreaming!』を発売し、2020年3月4日、遂に2枚目のアルバムとなる『My Loving』を発売したときのそら。彼女の「夢」と「大好き」を音楽という形で表現したこの2枚は聴く者皆を虜にし、改めて彼女がアーティストであることを実感させる。

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『Dreaming!』

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『My Loving』

2019年4月から始まったテレビドラマ『四月一日さん家の』では両親を亡くした三姉妹の長女「四月一日一花」を演じ、2019年10月6日には彼女自身初となる伝説のワンマンライブ「Dream!」を開催。名実共に「バーチャルアイドル」となった彼女は、まさしく私たちの心を照らす星そのものである。

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そんなときのそらがまだ普通の「バーチャルJK」だった時のことをご存知だろうか。
2017年9月7日に行われた彼女の初配信。今でこそ当たり前となった「Vtuber」という呼称さえ当時は存在せず、配信のプラットフォームはYouTubeではなくニコニコ動画だった。
彼女はホロライブ1人目のライバーとして配信画面に立ったか? ーー勿論、皆さんがよく知るホロライブというグループも、皆さんの推し達もまだこの世界に存在していない。ホロライブの名は専らARカメラアプリ「hololive」のことを指し、ときのそらはバーチャルアイドルでもVtuberでもなく、ARアプリのイメージキャラクターとして生まれた存在だった。誰一人今を想像し得ない、そして今からでは想像もつかない「プロローグ」だった。

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そんな彼女の初配信に訪れた視聴者はたったの13人(これも今では有名な話だ)。この数字にときのそらと友人A(皆さんご存知、ときのそらの親友でありマネージャー的存在。今ではホロライブ全体の裏方として勤めている。音楽好きが高じて先日遂にDJデビューを果たした)は落胆した。だがこの数字は決して首を傾げるものでもない。昨日までは「どこかですれ違っていたかもしれないような普通の少女」だった彼女を認知している人間が指折りで数えられる程しかいないのは、やはり当然のことなのだ。
――これがときのそらとホロライブが築いた軌跡の、荒涼の地から踏み出した最初の1歩目だった。

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それからも地道に配信活動を続ける彼女。視聴者数は緩やかに伸びていくが、何らかの展望を掲げられる段階までは依然として程遠い。
……だがその後、この物語の大きな伏線となる言葉が、或る日の配信内で突如として誕生した。

「止まらねぇぞ」

これは当時インターネットで流行っていた「止まるんじゃねぇぞ」という言葉(ネタコメント)に対する、当惑の末に生まれた彼女なりの返答であった。
ネットのコンテンツに触れる者であれば理解していることを前提として発せられる「ネットミーム」。それを純粋さ故に理解しない彼女は彼らの認識下に於いては非常に稀有な存在で、そこがネットに毒された人々にウケた。

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最初、そんな彼女のことを人々はからかい半分の目線で見ていたように思える。突然「ママ」と呼ばれるようになり困惑するあどけない女子高生の様子……状況としては確かに奇妙である。そして堰を切ったように急増したときのそらの視聴者。「ママ」「お姉ちゃん」という属性を付与した彼らに対して彼女が向けたのは、こんな言葉だった。

「私はどんな風に呼ばれても嬉しい」

彼女は常に柔和で、視聴者に寄り添い、そして拒まなかった。そんな彼女の優しさに、新しく集まった視聴者は図らずも心を奪われ、そらとも(ときのそらのファン、広義的には視聴者に付けられた呼称)となっていく。

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同じ未来を見ていたい、だからもっと夢追いかけたい

「いつか横浜アリーナでワンマンライブがしたい」

これは最初期から今に至るまで変わることのない、ときのそらが一貫して掲げ続けている「夢」である。最初は彼女をからかい半分で「ママ」と呼んでいた彼らも、彼女の持つ夢や目標に対して純粋な声援を浴びせるようになった。日の目の当たらぬ場所を生息地としていた多くの視聴者がときのそらの「ファン」として彼女を追うようになるまで時間はかからず、彼女に対し敬意を持って「ママ」と呼ぶそらともも増えた(?)

ときのそらは最早アプリの宣伝キャラクターに収まりきらない確固たるパーソナリティと、そらともと共に見出した「新たなる展望」を手に入れた。
そして彼女は今までの制服を着替え、新しいアイドル衣装を身に纏い、「アイドルを目指す存在」として活動を新たなステージに進行させる。
まさしく『ブレンドキャラバン』(1stアルバム『Dreaming!』収録曲)にある歌詞の如く、大勢の仲間(そらとも)を引き連れて。

だがこの時はまだ彼女に確固たるカリスマ性が備わっていた訳ではない。友人Aやそらとも達に見守られながら様々な「挑戦」を繰り返す彼女の姿に少しばかりヒヤヒヤしていたのも、やはり事実だと認めざるを得ない。

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――そしてこの時期、ARアプリ「hololive」にも変化が訪れた。
バージョン1.0.4よりhololiveはARカメラから配信者向けのアプリとして大幅な仕様変更(別アプリ化)が加えられ、「ホロライブ」という名称は1つの「Vtuberグループ」として用いられるようになる。

ときのそら、ロボ子さん、夜空メル、そして新たにデビューしたホロライブ1期生の白上フブキ、夏色まつり、赤井はあと、アキ・ローゼンタール …

こうしてホロライブは初めて「箱」の形となった。こうした体系は「にじさんじ」の台頭を見る通りVtuber界隈のムーブメントとなっており、ホロライブの箱化はそれに追随する形であったと言える(特にホロライブ1期生のデビューは)。

今までのファンはそれを容易く受け入れることができたかというと、決してそうとは言いきれない。やはり些かの抵抗や困惑もあったのが正直なところだろう。全体を見て急増した配信頻度や活動に於ける制約の無さを受け入れるには、熱帯魚が水槽の水に慣れるように、ファンにとってある程度の時間が必要となるものだった。
「深夜配信やゲリラ配信なんて追えない」「今までの健全性を壊されるのは容認できない」
こんな意見があったのも確かだ。

しかし、それがVtuberの世界に新たな風を吹き込む結果となったことにも注目すべきだ。
ARやVRといった技術力が主に注視されていたVtuberの世界に「タレント性」が加えられ、より明瞭なコンテンツとしての土台を構築したのは彼女らによって作られた「配信文化」ではないだろうか(そしてそれは3D配信を通したVR技術の発展にも繋がっていく)。
より手軽に横の繋がりを生み出し、そしてより盛んに「画面の向こうにいる存在」とコミュニケーションが取れるのは、やはり楽しい。
狐の少女と、チア部の女子高生と、ツンデレなあの子と、エルフの女の子と、昼夜問わずに会いに行けるのだ(故に寝不足に陥ったファンも幾らか見かけたが)。

こうして2つの物語はゆっくりと併走を始め、新しい世界を1歩ずつ見出していく。

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――だが、物語というのはいつでも順風満帆という訳ではない。そしてそれは時としてファンの憂慮を引き起こすことがある。

不安で揺れる心を上手くチューニングして

ときのそらの活動は誰が見ても順調で、連日のイベントや企業からの案件で引っ張りだこだった。これらはきっと彼女の成長にも繋がっていたし、喜ばしい事に違いないのは確かだった。しかし、彼女の疲弊がそらともの目に映っていたのも同じく確かであり、喜ばしさの奥に宿る不安の根はゆっくりと「応援する声」に侵食していく。
心配したくないけど心配――そんなそらともの自己矛盾は、やがてそらとも達の間に暗然たる議論を生み出した。

彼女が裏で或る大きな仕事に取り組んでいる時、友人Aは頻繁に表へと出られなくなった親友に代わり、自らが表に出て彼女を支えようとした。
だがそれについて、そらともは再びの憂慮を重ねることになる。
「裏方なのに表に出たがるなんて」
と。

各々の理想、感情、矛盾……それは「アイドル」として成長していく彼女を追いかける上で、向き合わずしては通れぬ道だったのかもしれない。
だが「これから先に繋がるものを信じてほしい」「正解はわからないけど、できることを精一杯やっていく」……そんな彼女達の言葉を聞いたそらともは、杞憂するよりも彼女達を信じる方が前向きであることに気づく。
彼女達が1度でもそらともを裏切ったことがあっただろうか…それは否である。そらともはときのそらを、そして友人Aを信じる道を選択した。
中には彼女達のもとを離れてしまったそらとももいた。だがそれはある意味、彼女達が「誰かの意見に左右されず、自分達の選んだ道を突き進む」という意志を示した証拠なのだと思う。

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一方ホロライブ1期生に続き、後輩格に当たるホロライブ2期生がデビューすると、1つの枠に括り切れない強烈な個性が更に多くの人々の関心を寄せる。
そんなホロライブはいつしか「芸人グループ」と呼ばれるようになり、「飽くまでアイドルだから」という釈明を加えつつ、流行りのゲームやネタ企画などエンターテイメント性に富んだ配信をそれぞれが行っていた。事務所に所属しつつも個人が主体となって自由な配信を行えるのは、集客的側面に於いてもやはり強みだと言える。

だが、半ば嘲りを込めて「芸人」と呼ばれていた彼女達も、裏では様々な悩みや問題を抱えていた。
病気による入院治療を余儀なくされる……人見知りでどうしても周りの仲間に声を掛けられない……
配信の最中、ふとした時に普段の姿からは想像できない切なる言葉、そしてそれを乗り越えたいという意思を聞く時、私達は「本当のアイドル」となる日の彼女達の片鱗を垣間見ることになった。

「正統派」としてアイドルを目指すときのそら。「エンターテイナー」として前進するホロライブ生。まるで毛色の異なる2つの物語は、ゆっくりと1つの場所への収斂を始めていた。まだ誰もそのことに気づかない場所で。

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想像、越えてく、世界見せてあげる

2018年末、そして2019年初頭と続き、ときのそらは遂に予てから進行させていた重大な発表を解禁する。

ビクターエンタテインメントよりメジャーデビューの決定。そして1stアルバム『Dreaming!』リリースの決定。

テレビ東京系列ドラマ『四月一日さん家の』より、「四月一日一花」役として女優デビューの決定。

……思い出そう。画面の中でまさに右も左も分からずと言うように配信をしていた彼女を。ある日突然増えたファンに困惑しながら配信をしていた彼女を。「アイドルになる」という夢を掲げ、時には躓き、悩みながら前に進んできた彼女を。
そんなときのそらがメジャーデビュー、そして地上波ドラマの主人公格の役に起用されるのはVtuber界に於ける大きな出来事、歴史の1頁となり、まさに彼女の努力が実を結んだ瞬間であった。

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同時に2019年はホロライブにとっても躍進の年となった。
今までLive2Dで動いていた1期生、2期生は遂に念願の3Dの体を手に入れ、全身を使ってその奔放さを私達に見せつけた。3Dモデルのお披露目は各チャンネルで1人ずつ行われ、推しが画面の中を自由に動く姿には、ファンの感動もひとしおだった。

同年6月、秋葉原駅に併設されている商業施設「アトレ秋葉原」とのコラボが始まる。1日に25万人近くの人々が行き交う秋葉原駅をホロライブ色に染め、その認知をVtuberの世界だけに留めず、より多くの人々の日常へと進出させた。

そして8月、コミックマーケットにホロライブブースが展開されると、グッズを手に入れんと朝から長蛇の列を成す戦士達が集合した。
また、ホロライブ初となる全体曲『Shiny Smily Story』を発表。水着で溌剌と踊る彼女達の姿は全てのファンを魅了し、「夢」や「目標」、「仲間」をテーマにした歌詞は、彼女達の軌跡を知る者を感嘆させた。

先の見えない世界の中、彼女達が歩んできた道は確かな「証明」となった。0の世界を1へ、1の世界を100へ…そしてきっと彼女達なら100の世界を10000にしてくれるだろうという信頼が、既に彼女達とリスナーの間にも生まれていた筈だ。

「止まらねぇぞ」という何気ない返答が胎動する生命の様に意味を含み始めていくのを、私達は確かに感じていた。

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後悔なんてそうさせない


多様に広がる「活動」の中でも、ライブというのは取り分け大きな意味を持つ。
双方向的な一体感、歌と音楽によるリアルタイムの熱狂は何物にも代え難く、また「ライブ」そのものが歩んだ道の指標となり得る為、ファンはその瞬間を体験する為に1つの場所に集結する。
ときのそらが「横浜アリーナでワンマンライブ」を夢として掲げ、それをそらともが応援するのを見ても、十分にその事が分かるだろう。

そんなときのそらの1stワンマンライブが2019年10月6日、渋谷の街に完成したVeats Shibuyaにて開催された。

彼女のステージにはいつも「ときのそらの規格を超えた何か」が降臨している。無邪気で時々天然な彼女からは想像できない、まさしく「ライブ専用の彼女の人格」とも言えるものが。
これも初期の彼女からは窺い知れなかった事であり、いつしか「アイドルを目指す少女」から「アイドルそのもの」へと昇華した彼女の姿に、そらともはただ恍惚とするばかりであった。
背中を押していたつもりのときのそらに、気づけば私達は手を引かれていたのだ。

3/7に発売されたときのそらの2ndアルバム『My Loving』初回限定盤特典に「Dream!」のライブ映像が同梱されている。彼女の超越的なアーティスト性を是非その目で確かめて貰いたい。

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そして3期生、4期生のデビューを経て総勢28人の大所帯となったホロライブ。
彼女達が秘めていた「アイドル」としての姿が遂に、2020年1月24日に開催されたホロライブ初の全体ライブ「ノンストップ・ストーリー」で解き放たれた(まだ3Dの体を持たない4期生は応援として同時視聴に参加した)。
夢も、個性も、歩んできた道も異なる彼女達が初めて同じ舞台に立ち、同じ舞台衣装に身を包み、会場を埋め尽くすサイリウムの色の数だけの「奇跡」を私達に語る。

2年前、1人から始まったこの想いは、20人以上のメンバーとの大きな想いとなって、実現する。

――その言葉の通り、「1人のアイドル」の物語と「28人のグループ」の物語は、この瞬間、この場所を以て初めて交錯し、1つの「特異点」となって輝いた。

――そして全てのきっかけとも言える「止まらねぇぞ」という言葉が、それを見事に包括した「ノンストップ・ストーリー」という大きな意味を持つ言葉となって返ってきた。
歩んできた道が決して平坦ではなかったからこそ、その言葉は多くの事柄と感慨を堆積して転がり続け、過去、現在、未来を繋ぐ「合言葉」へと進化したのだ。

この世界では、時として誰にも想像できないような突飛な物語が生まれることがある。「ときのそら」がこの世界に生まれたこと、そして「ホロライブ」という箱の完成が、それを証明している。
彼女達は紛れもなく「アイドル」となった。
決して手折られず、例え世界が滅んでも凛として咲き誇っていそうな、そんな存在に。

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歴史には証人が必要だ。そしてときのそらとホロライブが描いてきた「物語」を語る人間が1人でも多く必要となる時期が来ていると私は考える。

確かに「燻っていた過去」を糧として「輝かしい今」を最も大切にするというのは正しい。だが新しく彼女達を知った人々がこの物語の紆余曲折に触れられないというのは、やはりとても惜しいことだ。
ファンという「集合体」に宿った1つが語り部となるのは難しい。特に言葉を用いるのみでは。だからもっと多くの人が「証人」となるきっかけが生まれることを望み、この記事を書いた。

「嘗てはどこにでもいる普通の少女」が「大勢を魅了する新時代のアイドル」へと成長していく題材が「ノンフィクション」であるという稀有な現実を。そんな彼女のもとに集まった「個性的な仲間達」が物語に施してきた「展開」の秀逸さを――
彼女達の輝きが増すばかりの今だからこそ、私はホロライブを、そしてときのそらを追想し、これから綴られていく未来の物語に思いを馳せたい。