蒼穹のファフナーTHE BEYOND 7~9話感想 「許し」と「怒り」の狭間で

11月中旬より劇場公開中の、「蒼穹のファフナーTHE BEYOND」7~9話を見てきました。
このシリーズは随分と長く続いてきて、シーズンが変わるごとに描くテーマのようなものも変わってきています。そんな中で今回の3話では、「許し」と「怒り」という相反する情動が、印象的に描かれていたように思いました。
せっかくnoteを始めたということもあるので、このへん中心に、感想を書いてみようかなと思います。当然ながらネタバレを大いに含みますので、未見の方はご注意ください。

1.真壁親子と遠見真矢の「許し」

今回の3話分は前回の続きとして、シリーズの重要キャラ・遠見千鶴の死という、衝撃的な展開から繋がる形で始まりました。
特にアルヴィス司令官・真壁史彦は、自分を庇ったことで千鶴に死なれてしまったので、大きな悲しみと自責に囚われることになります。

自分はパイロットとしては戦えない体になり、自身の指揮のせいで子供達が次々と死んでいく。そして今度は心を通わせつつあった人を、直接犠牲にしてしまった……と。
後悔に歯噛みし、軍務に向き合う時にはそれを押し殺しながらも、自宅に帰ってからは一人思い悩んでいた史彦。
そんな彼の言葉を改めて動かしたのが、実子・一騎と千鶴の娘・真矢からの、「許し」と感謝の言葉だったのが、今回の話ではとても印象的でした。
千鶴が作っていた料理を振る舞われ、これまで千鶴と関わってきたことを感謝された史彦は、「憎まれるとばかり思っていた」という恐怖を吐き出し、ここにきてようやく涙を流します。
感極まるのが、千鶴の死という悲しみを背負った時でなく、それを受け止めて許してもらえた時だった……というのは、ファフナーの物語性と照らし合わせても、とても重要な場面だったのだと思うのです。

「拒絶や強要ではなく、理解と協調を目指す」というのが、ファフナーにおいて重要な要素であったように思います。
それ故に、ショッキングな死やそれを受けての後悔よりも、そのことをどのように受け止めて許し合っていくのか、というのが、これだけ大きく描かれていたのは、とても印象的でした。

2.「許し」の裏で失われつつあるもの

そうした父との対話が、印象的に描かれていた一騎ですが、そんな中で彼の心からは、あるものが失われつつあることが改めて描かれています。
フェストゥムの因子と一体化し、新人類・エレメントとなった一騎の中では、徐々に人間らしい情動が薄れつつありました。
怒りや憎しみに我を忘れることはなくなった代わりに、大きな感動を得ることもなくなっていき、世界の見え方まで変わってしまう。
真矢の姿が、モノクロに近い色彩で見えているシーンは、「遠見まで俺のようになることはない」という一言と相まって、これまで以上に重く突き刺さりました。

他者を許して慈しみ、受け止めながら向き合う中で、ある種の「悟り」の境地へも近づいていった一騎。
一方で、それも一定のボーダーラインを跨いでしまえば、無感情や無関心の領域へと近づいてしまいかねない
一騎自身はそれを良しとはせず、定期的に家族や親友(多分まだ親友止まりなんだろうなぁ、真矢への意識は!)と会うことで、情動を繋ぎ止めていたようですが、それでも止められないものがある、というのを突きつけられたのは、改めてつらいなぁと思いました。
虚空に迸る光の彼方から顕現した、新たな乗機・マークアレスの誕生演出も、そうした彼の「深化」を物語っていたのかもしれません。

3.皆城総士が叫ぶ「怒り」

そしてさらにその一方で、これまでのシリーズとは全く違うアプローチで描かれていたのが、主人公・皆城総士の姿でした。

一度生まれ変わって以降の総士は、まだまだ幼く狭量な人間です。気に入らないことには容易く反発し、自身の心を踏みにじってしまった一騎のことも、未だ許せず恨み続けています。
「憎しみだけで戦っても解決はしない」と、自身を律し続けている日野美羽に対しても、「全く怒らないのは人間らしくない」という感想で返しています。
当然ながら、アルヴィスの仲間達はこの傾向を良しとせず、冷静さと豊かな感性を養うことで、よき大人へと成長していくよう促しています。
これまでのファフナーの物語においても、総士の情動や考え方は、「このままではよくない」という形で描かれていたようなものでした。

僕は今まで、こうした形で描かれていたのが、何故だったのか分からなかったのですが、そんな総士の人物描写は、この話で一つの変化を迎えます。
御門零央と水鏡美三香が自爆を決意し、周囲も「あれでは助けられない」と諦めつつあった中で、「そんなの認められるか!」と総士は怒ったのです。
それは紛れもなく「怒り」でした。それでも誰かを害する憎悪ではなく、今目の前にある絶望や悲劇を、そのままにしてはおけないという怒りでした。
そしてその「怒り」こそが、かつて一騎が何度となく叫び、今では少しずつ失われつつある、「人間らしい情熱」の形でした。
人々を守りたいという義憤も、平和を取り戻したいという情熱も、大元に根ざしているものは、「現状を許せないと思う怒り」だと思うのです。

一騎が取りこぼしたものが、総士の中ではまだ生きている。
「許し」と「怒り」という両極の狭間を、見極めるための岐路を進んでいるのが総士である。
彼がそういう存在なのだと気づいた時、この総士という特異なキャラクターに与えられた性質が、ようやく読み取れたような気がしました。
「怒り」とは消し去っていいものではなく、あくまでも背負い続けるべきものである。
「許し」という理性で律しつつも、確かに向き合い続けることが、人の身を動かす情熱に繋がる。

このエゴイズムによってこそ、マークニヒトを「進化」させた総士の姿は、僕にそう物語っているように見えたのです。

だからこそ、これまでのファフナーやフェストゥムとは大きく印象を変えた、新ニヒトの登場演出にも、強く胸を打たれました。
現れたのは虚空の門ではなく、漆黒の岩球。冷えた溶岩のようなそれを、内側から突き破り迸るのは、煮えた血潮のごときマグマ。
拒絶と破壊がもたらすものとして、「虚無」の二つ名を与えられたはずのニヒトに、エゴという血を通わせるような姿
脈動と共に現れるのは、命の怒りを世に吠え叫ぶ、明確な「実像」を持った姿でした。
もはや命の通った姿に、かつてのような得体の知れない恐怖はなく。なればこそ、その姿に願うのです。叶うのならばそう在りたいと、一度は願ったはずの僕らは、新ニヒトと総士にそれを託すのです。
求めるものへと手を伸ばせ。行く手を阻むものに立ち向かえ。
己の弱さを許せないと、そう怒ったのは何のためだ。お前がその手で磨いた力は、何を勝ち取るためにある。
今こそ進め! 望みを目指せ! 心のままに怒れ、「叫べ」と!

4.終わりに

今回描かれた「許し」と「怒り」は、THE BEYONDというシーズンを読み解くに当たって、とても重要なものであるように思えました。
望む世界を手に入れるために、一騎達が示さなければならない「許し」。一方で世界を望み続けるためにも、総士が忘れず向き合わなければならない「怒り」。
ファフナーが登場したゼロ年代には、当時の社会情勢などもあって、前者の「許し」を尊び追い求めるような物語が、色々と目立っていたように思えました。
一方でそれから時間が経ち、やはり人間を動かすのは後者の「怒り」でもあるのだと、向き合うような物語が描かれたのは、10年代後半から現在にかけて、改めて見直されてきたような傾向なのではないかとも思うのです。
そうした形で、「怒り」に立ち返り、「許し」との共存を目指す方向に、ファフナーが舵を取りつつあるように見えたのは、興味深い変化だなぁと思いました。
僕自身が、割とこうした「怒り」の物語こそを好む人間でもあるので、あるいはそう思ったのかもしれません。
何にせよ、今後がますます気になるファフナーTHE BEYOND、次回の公開も楽しみに待っています。

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