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筆で厄祓いをする獅子舞、広島•熊野町のシシ

広島県熊野町、又の名を筆の都。広島駅から車で約30分のところにある、人口2.3万人(2003年)の町だ。四方を山に囲まれた熊野盆地が広がっている。鉄道が通っておらず、移動はもっぱら自動車であることが多い。市内には100社以上の筆に関わる企業があり、筆の生産は日本一を誇る。

この地で獅子の歯ブラシは2024年6月1日〜2日の日程で、広島県熊野町にて演舞を行った。メンバーの稲村のみの滞在となった。この滞在の様子を稲村の視点で振り返る。

広島県熊野町滞在のきっかけ

きっかけは福岡のRKBテレビ(TBSテレビ特番)の密着取材だった。ロケの時間は2日間のみ。この短時間でシシが作れるのだろうか。「日本全国どこでも行って良いよ」ということだったので、悩みに悩んだ。今まで1週間以上かけて作ってきたシシを2日間で作らねばならない。そうなった時に「手に入りやすい素材」がはっきり決まっているのが良い。

まずはとにかく日本一を探した。地域のシンボル的な何かがはっきりしている土地が良さそうだ。手袋、靴下、筆...。「筆の獅子舞ってなんかかっこいいし、厄祓いらしい感じもする」。直感的にそう思い、広島県熊野での滞在を決めた。現地に知り合いは皆無だったので、テレビ局を通して町役場や中学校、町唯一の民宿などにアポを取ってもらい、なんとか滞在にこぎつけた。

弾丸でシシづくり

まず6月1日に現地について、向かったのは筆の里工房。午前九時ごろ、筆づくりの職人に仕事場を見せていただいたり、美文字職人に習字を書いていただいたりした。また、筆の歴史は江戸時代に遡ることなど、筆づくりの歴史を教わった。町内には筆づくりの会社が100社以上あることを知って驚いた。
また筆の毛の素材としては、たぬき、きつね、ムササビなどがあることを知った。用途としては習字用や絵描き用、化粧用など、筆は本当に多種多様だということがわかった。また町役場で余った筆を、筆の里経由で、預かることもできた。シシづくりに生かしたい。

また、十時ごろに熊野東中学校に向かった。熊野東中学校の書道部の生徒さんには書き損じの半紙を分けていただいた。書き損じとはいえどもかなり字が綺麗で、ひとつの半紙に何十文字も書いている姿は本当に圧倒された。テレビに出るということで緊張している生徒もいれば、ワイワイと楽しげな生徒もいた。現地の子どもたち、とりわけ学校現場に入って行けたのは本当に貴重な経験だった。

それから現地の筆制作をされている企業である仿古堂(ほうこどう)さんに伺うことができた。ここでは筆づくりの現場を見たほか、14万円もする小さくて高価な筆も見た。そして、「筆供養」に出すいらなくなった筆もここでいただくことができた。さて、素材は揃った。お昼はお好み焼きを食べた。それから翌日の演舞に備えて下見をした。

偶然の獅子頭との出会い

演舞の下見で通りかかった、熊野町郷土館で、偶然にも獅子頭との出会いがあった。この獅子頭は約〇〇年前には家を一軒一軒回るのに使われていたようだ。伎楽由来の歴史が非常に古い獅子頭のように思える。獅子舞を舞うことで町内会費を集めやすかったなどの事情もあったようである。ただし、現在は獅子舞を舞っていない。熊野町全体でも、現在舞っている獅子頭はなさそうである。

筆の都らしい、シシの完成

さて、伝統的な獅子舞との偶然の出会いがありながらも、僕は翌日にシシを作りきった。仿古堂さんからいただいた筆を棒に結びつけて長くして背中に固定して、僕自身が一本の線になるような形で、自分自身が一本の筆になるようなイメージだった。それから、筆を20本繋げて蛸糸を通し、それを首からぶら下げた。筆同士がぶつかり鳴らす音色は、まるで民族楽器のささらのようだった。そして一番目立つ胴体部分は熊野東中学校の生徒や美文字職人がくれた半紙を固めの半紙に貼り合わせて繋げたものだった。

こうして、筆の獅子は出来上がった。舞い方は職人さんの筆の筆跡を真似るようにして、きっちり止めたり払ったりという風に、緩急をつけなるようなイメージで考えていった。

熊野町を舞って「筆祓い」のシシが誕生

さて、シシの演舞はこのようなコースで行われた。

熊野町役場から歩きながら舞えそうな場所を探って、食事処・みどり屋に到着。そこから熊野町郷土館までの直線を舞い歩く。それから町の中で最も賑わっているとおすすめされた、トモビオパークに移動。子どもたちが見守る中で、舞い歩いた。最後に、熊野町で最も田園風景が綺麗な呉地川沿いの田園風景の中で舞い歩いた。これらの演舞は12時前に始まり、途中お昼休憩なども挟みながら、16時ごろには終了した。熊野町のさまざまな地形を堪能することができた。

一番のメイン通りと言われるみどり屋の通りは、みどり屋こそお昼時で人が集まっていて家族づれを中心にシシを見てくれたものの、それ以外はあまり反応が芳しくなかった。シシは人寂しく、ただトボトボと歩きながら、舞っていいのかよいのかわからず、控えめに動くことが多かった。熊野町郷土館の人は驚いたようだった。

唯一堂々と舞えたのが、トモビオパークだ。ここは子ども向けの遊び場が広がっており、広大な敷地に滑り台や舞台、レストランなどが広がっている。 駐車場から中に入っていく導線の中で、停まっている車の量に驚いた。入り口付近で舞っていると、チラチラ見てくれる人もいた。そこから中に入ってみると、「あ、怪獣だ!」などと騒ぎ触りにくる子どもたちもいた。「筆が欲しい」「頭をなでて」などの声かけもあった。そこで獅子舞が頭を噛むように筆でなでて厄払いをする「筆祓い」の考え方が生まれた。なるほど、こういう厄祓いもあるのだ。

それから、最後に呉地川沿いの田園風景の中で舞った。地域の農家さんとその子どもたちに怪しまれて撮影しないでほしいと言われてしまったので、それで終わってしまった。ともビオパークとの差は、人が集まる場というよりは静かすぎる田園風景に、静かなる筆祓いのシシが登場したことだった。あまりに人が少なすぎるとシシには向かないようだ。

シシから見た熊野町

結果的に感じたのは、この町は蛇のように蛇行した道が多いことだった。筆の筆跡が、どこか蛇の蛇行を思い浮かべる瞬間がいくつかあった。また、熊野町は全体的にシシが舞いやすいところとそうでないところがはっきりと分かれていた感じがした。特に食事処のみどり屋とトモビオパーク以外は、人が少ないことと、道幅が狭くて蛇行するような道が多いことから、シシが舞いやすい場所は少ないように思われた。

ただ今回は2日間という制約がある中で、できることは全部できた。筆と半紙をメインにして、筆で頭を撫でる「筆祓い」の特徴を持つ、面白いシシの形態もできた。やはり素材がはっきり決まると、リサーチも制作もスムーズにいく。こういう気づきがある滞在となり、充実した2日間だった。

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