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「誰がやるかより何をやるか」に込めた思い

どうも、獅子よ嵐を巻き起こせ!
シシアラシです!

「誰がやるかより何をやるか」
愛するライオンズを応援するにあたり、自分が今年1年間頻繁に主張してきたフレーズです。
応援席でゲーフラを掲げ続けているので、言葉自体見たことがある方は結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
実際、自己紹介記事でも書いたマイスローガンの「獅子よ嵐を巻き起こせ!」よりも強く押し出してきたつもりです。
言葉の表面的な意味は読んでそのままですが「誰がやるか(言うか)」よりも「何をやるか(言うか)」の方が大事だということです。
逆の言葉はシンプルに「何をやるかより誰がやるか」になると思います。
自分の脳内や親しいライオンズファンには省略して「誰何」「何誰」と言ったりしますので、以降は略称を使用します。(略称の使用例:「誰何ゲーフラ。」「あの件は何誰で見られがちな案件だな~。」)

今年熱い思いで掲げてきた
「誰がやるかより何をやるか」

ゲーフラにしてまで主張してきた「誰何」はYouTube、Xにて何度も発信していますが、少し尖って見えそうな内容も含まれるため、オブラートに包んで説明したり、一部内容については表に出さない判断をしたこともありました。
今回は「誰何」に込めた思いや考え方について、初めて発信する内容を加え、ありのままにお伝えしていきます。
ライオンズファン全員に受け入れられる内容だとは到底思っていませんので、受け入れられない方は価値観が違うと捉えていただけると幸いです。
ぶっちゃけ、共感率よりも共感した人数が多い方が満足感があります。(打率より安打数的な?w)


選手に向けた切実な思い


「誰何ゲーフラ」は応援のために掲げていますから、当然選手に向けてメッセージを届けることが第1目的で、誰が活躍するかよりも、登録されている選手それぞれが何をやるかの方が重要という意味を込めています。
もちろん選手はプロですから、過去の実績、年俸、人気度合いで判断され、主力であればある程、外から「誰がやるか」の視点で見られることは普通だと思います。
しかし試合中だけにフォーカスした場合、その場で勝つことが最重要なので、上記の要素は関係なく、若手からベテランまで個々が勝利というゴールに向かってどんなプレーをするか、つまりどんな結果を出すかが大事だと考えます。

中には推し選手が活躍すれば勝敗は気にしないファンもいますし、それを否定しようとは全く思いませんが、自分の応援スタンスは「チームの勝利が第一」なので、好きな選手が活躍すれば嬉しいですが、基本的には敗戦すると悔しさが残ります。

長いシーズンでは試合内容の良し悪しも大事ですが、1戦1戦の勝利が応援する側の最大の薬であり、ファンサービスだと感じるので、選手全員が貪欲さを持ち、その場、その状況下でできるベストを尽くしてもらいたいです。
色々内情はあるにせよ、近年のライオンズはアプローチを見る限り、技術以前に選手の必死さが足りていないと思わされます。
特に2024年のライオンズは投高打低のプロ野球でもダントツで打力不足のチームで、通年で源田選手以外レギュラー格がおらず、頻繁に出場選手、打順、ポジションが変わる状況だったので、より一層、誰でもいいから結果出してくれ!、レギュラー勝ち取って定着して勝利に貢献してくれ!と思わされましたね。

逆に選手は「俺がやる!」と強い信念を持って臨んでほしいものです。
もっと大きく言えば、監督、コーチ、フロントも含め、球団全体で的確で最大限の「何をやるか」の積み重ねがなければ、91敗したチームの再建はできず王座奪還は夢のまた夢となるでしょう。

声出し応援するファンにも言えること

この考え方は声出し応援するファンにも置き換えられる思います。
まずルールとして、応援席では応援の強要をしてはいけませんが、一般的な応援席のコンセプトはチームの勝利に向かって、声出し応援でエールを送る席です。
その目的を持って応援席にいることが前提の話ですが、声出し応援するファンも「誰が応援するか」ではなく「どんな応援をするか」が大事なんです。
つまり、有名であろうがなかろうが、常連であろうがなかろうが、推し選手が誰であろうが、アウトプットが1番重要という考え方です。
応援でのアウトプットとは声量、手振り、クラップは勿論のこと、熱意や気迫、展開関係なく応援し続けられるマインドも要素になると思います。
分かる人には分かると思いますが、内面的な部分も佇まいや一挙手一投足に出ますからね。

当然、元々の声量の違い、男女差や年齢差での体力の違い、怪我、病気等の関係で個々で出せるパフォーマンスは違いますが、自分がその状況下で出せるベストな応援をしている人は見ていれば分かりますし、応援熱を感じられます。自分的にそんな人は同じファンとしてリスペクトできますね。

応援の姿勢でリスペクトできる仲間は多い


ただ、自分が今年ライオンズの応援席を見てきた限り「一丸となって勝利のためにエール届ける」観点で言えば、伸びしろだらけだと思ってしまいます。
何様だと思われそうですが、自分は終始全力でやってきたと胸を張って言えるので、多少の批判があっても持論の展開はやめません。
色々書いていますがこの章の冒頭に記載した応援席にいる目的を持っている人向けに発信しています。
応援席にいる目的が異なる人に応援を説いても意味ないですからね。

因みに…かなり多くのファンを見てきた中で、ファン歴が長かったり、応援席の常連であっても、一定数「応援の本質」を捉え違えていると感じる人がいます。
応援の中心は誰、多く来ている人こそ偉い、誰々の応援はすごい、誰々は有名ですごい等、誰の部分にスポットが当たり過ぎている気がしてなりません。
自分の見てきた感想ではありますが、そう唱える人でその時できるベストな応援をしようと気概が伝わってくる人はあまりいないです。(もちろん応援をしっかりしていれば全然いいのですが。)
中には肝心の応援がどうかではなく、通い続ける常連イコール外野応援の精鋭、コアメンバーであるといった、考えが飛躍している人もちらほらいる印象です。

プロスポーツの応援席はどうしても、常連を中心に閉鎖的な世界ができてしまいがちですが、はき違えてはいけないのは、いい応援ができるのは常連の面々が多いからでも、気心しれた仲間で固まるからでもありません。
斜に構えた上っ面のプライドや村社会のような空気感は応援行為には一切不要ですし、どんな境遇のファンも応援席に立ったら同じであり、集団でも個人でも「1人1人が何をするか」これに尽きます。
それだけあれば応援席全体の出力はいくらでも上がります。
集団でも1人でも熱い人は熱いんです!!

どんな境遇でも束縛から解放され西武ドームに来ればみんな同じ!前向いて応援してこうぜ!という意味の込めた鳥かごゲーフラ。ベルドでのスタメン発表時しか掲げない知る人ぞ知る作品。


誤解がないよう補足しますが、常連を嫌っているわけではなく、応援に慣れているはずの常連でも、言動から応援の本質が理解できていない人が見受けれることに違和感があるだけです。
何なら周りから見たら自分は常連の1人でしょうし、一応顔出しして発信しているので、むしろ「誰(シシアラシ)」の観点で特別視されることが多いので、自分のように見られる側の人間でも、人に媚びず見られていない側の人間から出て来そうな考えを包まず発信していることをどうかご理解ください。

※誰何ゲーフラを紹介している動画です。ここでは言葉を選んで思いを伝えています。

言動が伴っているファンでありたい


今はSNSの時代ですから、選手の情報だけでなくファンの情報発信も容易にできるため、発信内容を基にその人の人物像、ファンとしての姿をイメージすることはできますよね。(イメージが正しいか間違いかは別として。)
応援席の界隈は狭いので(特にライオンズは)、バリバリSNSを運用している人ならば、知り合いではなくともSNSのアカウントと人物が一致している人が結構いるんじゃないでしょうか。

そのような人やたとえ知り合いでも時々見かけて嫌気が差すのは、実際は声出し応援できる力があるのに声出しせず人と会話している、適当に応援する、スマホをずっと触っている、SNSの映えを意識した撮影ばかりしている等の応援行為ができるのにやっていない人がSNS上で「外野で全力応援してます!」「ライオンズを応援したいからどこでも付いていく!」「頑張って応援したが勝てず…でも明日もここに来る!」「ここには精鋭ばかり集まっている!」といったような、いかにも一生懸命応援しているかのような発信をしていることです。

Xで笑ってしまうくらい言動が伴わない
見せかけの外野勢が多いことにイラついて発信した内容
流石に「見せパン」の表現は攻めすぎたと反省w


そして、その発信者にある程度フォロワーがいたり、名前が通っていれば、実態を知らない人から「誰が発信しているか」の観点で"ガチ応援している熱い人"と認識され、熱いガチ応援が本来どんなものなのかも間違って広まり、最悪の場合、応援席にいる新規ファンの応援の底上げが停滞するのではと危惧しています。(もちろん名前が通っていて全力で応援している人も沢山知っています。)
こう言うと初心者が入る余地がないと言い出す物事を区別して考えられない人が出てきそうですが、応援席の中で初心者を批判したり、常連面して横柄な態度を取る等、人間として未熟な対応をしない限り問題ありません。
試合中マナーを守ることは当然として、周りの余計なことを考えず、シンプルに勝利のために全力で応援すればよいと考えます。

どれだけ応援席に通っていてもやれることをやっていない人より、ファン歴が浅く応援歌を覚えきれていなくても、歌詞を見ながら自分なりに頑張って歌っている人や、間違えたとしてもチームを応援したい一心で健気に声出し応援するお子さんの方がずっと立派ですよね。
繰り返しになりますが、応援行為は強要できません。
ですが、勝利のために応援する目的を持つ以上は言動が伴っていてほしい、すなわち、発信内容と応援行動に乖離なくあってほしいと願います。
そして、自分もそうあり続けたいと強く思います。

このフレーズを使い始めたキッカケ

「誰何」はライオンズの応援を通して感じた内容ではありますが、マインドは応援以外の日常生活においても持っていました。
自分は生きてきた中で人よりも「誰がやるか」の観点で不利な見られ方をされてきた人間です。

様々なシチュエーションにおいて、他人と同じことをしても、あの人はよいがお前はダメと言われがち…(その多くは感情論なのでしょうがw)
性格上理不尽な理由で文句をつけられるのが嫌いなので、なぜそうなのかを掘り下げて考えるようになり、それでも理論上納得いかなければ屈さずに反論できる力が養われました。
考えさせられることが多いため、自然とその思考が身に付いたのでしょう。むしろ同じような経験をしている人でも、反骨精神がなく、なぜそうかを考えずアクションを起こそうとしない人は性格上合わないです…

逆の意味である「何誰」の見られ方で割りを食ってきましたが、この考え方自体を否定する気はありません。
主張する「誰何」はあくまで応援のあるべき姿の話であって、むしろ世の中は恋愛を含めた交友関係、広告、芸能等「何誰」で成り立っている物事が多く、生きる上では意識しなければならない要素です。
このように自分事がキッカケで意識し始めたことで、知人の話、SNS等で話題になっているような他人事でも誰の部分、何の部分について考えを巡らせるようになりました。
例として「この炎上内容を誰々が発信していたらどうなっていたか?」、「いいねを得やすい誰々の発信内容を代わりにこの人や自分が発信していたら反響はあるのか?」等…

何かに気付くキッカケは悪事を働かない限り、ぶっちゃけ何でもいいと思っています。(自分はたまたまキッカケが自分事だったというだけ。)
大事なのは気付きを得た内容をどう生かすかで、自分の場合は苦戦が続き役者が現れないライオンズを見てもどかしく感じ、まさに「誰がやるかより何をやるか」これだ!と思いゲーフラにしたり、考えをライオンズファン向けに発信しました。

キッカケはともあれ、選手に対しての思いだけでなく、応援の本質を深く考え、気持ちの持ち方、アウトプットの質を高められるようになりましたし、YouTube活動により自分キッカケでガチ応援にハマった人がほんの少し増えて知り合いになったりと、自身のライオンズファンライフがいい方向に進んでいるので今のところはオーライなのかなと思います。

最後に

厳しい言葉も使いながら、言葉に込めた思いを書かせていただきました。
繰り返しになりますが、願いは選手全員が勝利に向かって結果を出してほしいこと、応援席のファン1人1人が自分のできるベストな応援をしてライオンズの応援がより素晴らしいものになることの2つです。
自分としては応援の本質を忘れず、懸命にアウトプットして少しでもチームにエールが届けばいいと思いますし、何より秋に選手、ファン全員が喜べる最高の結果が返ってくることを心の底から期待しています。
記事を見たご意見、ご感想を是非コメントで聞かせてください。
長文を最後まで読んでいただきありがとうございました!


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