思考のリハビリとしての文章作成 / 神の最高傑作としての自分

前回の続きです。
「なぜ書き始めたのか?」についてです。
結論としては、「思考力を高めたいからです」。
以下、もう少し詳しい説明です。
前回の記事でも記したように、小生は今年、大きめの病を患いました。
2か月間の闘病(と言っても、終盤はかなり快復していたので、辛かったのは 1 か月半ほど)を経て、自分の活力や思考力が大きく損なわれた実感があります。
具体的には、次のようなことを経験しています。

  • 難しいことを考えるのが苦手になった

  • 読書が苦手になった

    • 気が向かない

    • 読み始めても続かない

    • 頭に入って来にくい

  • 勉強をしなくなった

    • Anki  での学習に毎日 1 時間弱を充てていたが、今はゼロ

自分としては、なかなかショックです。
小生は自他共に「実年齢よりもかなり若く感じる」と認めるところがあり、それを自負してきました。
しかし今は、見た目には変化がありませんが、思考の方は、衰えを覚えています。
自分が自分たる要素が削がれたようで辛いです。
この点の回復のため、今は、思考力のリハビリの期間として位置付けています。
そのため、重い腰を上げて、文章の作成を始めた、という次第です。
と言っても、こんなちまちました文章を記すことがどれだけ思考力の向上に寄与するのかは怪しいところなのですが、前回のタイトルでもある『考えることとは書くことだ』という説に期待を込めての行動です。

ちなみに、なぜ note というプラットフォームを選んだかというと、見た目がきれいで使いやすそうだったからです。
以前、はてなブログも少しだけ使っていたのですが、気が散る要因が多くて使い心地はいまいちでした。
note は、想像よりも遥かに良いですね。
唯一の気掛かりとしては、note での一般的な投稿の傾向として、ブログなどよりも「バズらせるぞ」という気合いが入っていて、体裁がまとまっているものが多いように感じるので、そのきっちりしたプラットフォームを日記帳がわりに使うことに、空気を読んでいない申し訳なさや気後れがあります。
また、「そんなにプライベートな性質のものなら、メモアプリにでも書いたら?」という疑問もあるかもしれません。
このように公開している理由は、「人目に触れ得る」という緊張感により、話の道筋が通りやすくなることを期待してのことです。
自分用のメモアプリに残す文章は、ここに書いている文章以上に、とりとめがなくなりがちです。

話は変わって、昨日、小生の通うプロテスタントのキリスト教会で語られた説教について振り返ってみます。
昨日の説教のタイトルは『神の最高傑作として作られた自分』というようなものでした(不正確かも)。
小生はこのタイトルを知った時、「このタイトルを回収できるのか」と不安に感じておりました。
自分自身を『神の最高傑作』などとは到底思えず、綺麗事のように聞こえたためです。
しかし、レーナ・マリアさんや、説教者ご自身の神経症を引き合いに出したお話に説得力を感じました。
聖書の執筆者である使徒達を精神分析の対象としていたことも、「聖書の著者は神」というところから一歩踏み込んで、一人ひとりの個性が生かされていることを納得できました。
また、小生の好きなタラントの喩えにおける、1 タラントを地面に埋めていたものを引き合いに出して「人畜無害じゃダメなんだよ」と仰っていたことも、自分の納得感を高めました。

精神分析の面でおもしろかったのは、ヨハネのことを「『主の愛された弟子』と自分を評しながらも自分のことを明かしたがらない」分裂気質だと評していたことです。
小生もこの気質が一番自分に該当すると思いました。
小生は人と話すのは得意ですが、自己開示は苦手です(ですので、この note への投稿は、例外であり、チャレンジです)。
自分のことを話したがる人は多いように思いますが、小生は、そのような欲求を覚えません。
「話して、聞いて貰えて、すっきり」というのは一般的なパターンのように思いますが、小生は、自分の考えを共有することが億劫であり、また、外に出すことで胸のつっかえが取れるような感覚も覚えません。
話す欲求もなく、また、話しても聞き手にとっておもしろいように思えないような自分の話をするくらいであれば、相手の話を引き出して盛り上げ、話すことにスッキリして貰った方が有意義なように感じますし、得意です。

昨日のメッセージでの勧めの主要な部分は「自分の偏りを修正するのではなく、それを上手く活かせ」という部分だったように思います。
では、自分が活かせる偏りとは、どのようなものでしょうか?
極端に走りやすい部分や、やったことをやり抜く部分、あとは、勉強を厭わずに成果を上げる部分などでしょうか。
と言っても、最後のヤツは、自分が今失っているような実感があるものなので、再度活かせるかは怪しいのですが…。

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