『バービー』を観て考えたこと(1?)
小生は本や映画について語るのが苦手です。
そういったものの感想を求められても「おもしろかった」に毛が生えたくらいのことしか言えないので、我ながらつまらない人間だと思います。
この点を改善したいので、読書や映画鑑賞を始める前には「この作品について少しは語れるようになるぞ!」と意気込むのですが、たとえ感涙しても、鑑賞後にはやはり「感動した」に毛が生えたくらいのことしか言えないため、無能感に情けなくなります。
ですが、今朝早起きして観た『バービー』は別でした。
感想を述べるのが苦手な自分でも色々と考えさせられたので、特殊な作品だと感じます。
今日はあまり時間がないため、ひとまずタイトルに(1?)と仮のナンバリングし、メモを残すまでにしておきたいと思います。
大事なテーマということもあり、(2)以降に繋げて、各項目について詳細に語れると良いのかもしれませんが、あまり自信がありません…。
まあまあこのメモで吐き出しきった感じもあります…。
バービーランドの男性について
ああはならんやろ
と言っても、批判ではない。あの設定に期待された役割は「こういうのが当たり前の世界もあったかもよ?」という if を思わせることだっただろうし、それはちゃんと果たせている
男性性が牙を抜かれている
戦う際の男性の女性に対する生物学的な強さ
威圧感
女性の生理、妊娠、出産
筋肉や体格
声
何十億もの人間が何千年も過ごしたら、そりゃあ今のような社会構造になるだろう
自分も、ああいう男性ばかりだったら、社会が生きやすいように感じる
仕事での議論とかも、緊張しなくて済むし、楽
自分は、ビビる場面はある
女性でも威圧感がある方はいらっしゃるけど
男性に対してビビって遠慮することから考えると、相対的に、女性に対しては見くびっているような態度になっている?
自分自身も攻撃性を道具として使っている場面があるのかも
他の人が自分をどう思っているのか知りたい
男性の女性に対する品定め vs 女性が発する色気
自分はノーメイクの女性の同僚といるのが楽
「モテたい」は罪ではないだろうし、「自分を美しく保ちたい」だってなおさら罪ではないのでは。趣味というか志向というか
自分は、美人じゃない女性に、別に卑下感を抱かない
太っている人には抱く
特に女性に対して、という矛盾
今作でも、太っている人が出てくるたびに「どうしてここでこの人が出てくるのか」と不快に感じた
人種差別をする人も同じような感覚なのかもしれない
自分自身について考えると
どこまでが男性性に甘えている、もしくは洗脳されている部分なのか
仕草一つとっても
あぐら
おなら
パンツ一丁で家の中を歩く
妻が同じことをしたならちょっと引く
教会で語られる「雄々しくあれ」について
聖書は男性性についてどう語っているのか
男性が主要な登場人物の大半を占めるので、読み手が無意識的に「男性性とはこういうもの」という刷り込みを受けることはありそう
ただ、男性性について明言している箇所は、そんなに多くないのでは?
「雄々しくあれ」という表現の登場箇所のほとんどは戦争関係
大半がヨシュア記
男性に対して使われている
教会で一般論として語るのは文脈から外れており、神様が意図なさっている方向性とはズレているのでは
男性像の典型
映画について語りたがる男性達
自分は違う
別に語る欲求が湧かないし、たとえ語るべき場面だったとしても語れるほどに理解できていないため、言葉が出てこない
「自分は変なのかな」「どうして自分はこうなのだろう」などと思った
ラブソングを聞かせたい男性達、車や馬に夢中になる男性達
これも自分は違う
この映画の描く「典型的な男性像」は、どこまでが「世界の男性」の縮図で、どこからが「アメリカの男性」の縮図なのかが分からない
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?