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河童忌2021

 河童忌ですよ。何か書けるか知らん。
 でもなんで河童忌なんやろうな、いや、確かに「河童」は有名やけどさ。もうちょい何かなかったんやろか。河童言うてる所為でなんかヌメヌメした印象が抜けへんねんなあ。

 でな。ヌメヌメはいいねん、ちゃうねん、あのな、悲しいねん。なんかな、芥川が死んだのがな、無性に悲しいねん!
 聞いてあのな、この前な、なんか文章書いててんけど、その時にな、「1927年に芥川自殺しましたよ」みたいな事書かなあかんかってんけどな、その時にな、「芥川が自殺した」って書くのがどうしても悲しくて悲しくて、なんでか知らんけどやたら悲しくてな、その一文書くのに30分くらいかかっちゃった。あほやろ。でもな、ほんまに悲しかってん。
 勿論芥川が自殺したって事はずっと前から知ってたし何も今更改まって悲しむ事ぁないと思っててんけどな、何なら自殺したからこそこんなに芥川好きになったんやろうなあとか思うくらいやねんけどな、そう、やから自分でもびっくりしたもん悲しんでる事に!
 でな、何が悲しいんか考えてみたんやんか。なんかなーーーー。厳密にはな、芥川が自殺した事が悲しいって言うんじゃあちょっとしっくり来いひんねんなあ。どちらかといえば、芥川が死んだのが悲しいって言う方がしっくり来る。死んだのが悲しかったらしい。でもさ、芥川も人間やもん、原因は何であれ死ぬくない?いや、分かってるけども!
 言葉でいうと「芥川が自殺して悲しい」より「芥川が死んで悲しい」の方がぴんと来るけど、でも、芥川がめっちゃいい感じに人生楽しんで寿命全うしていい感じに死んでったんやったら、たぶんこんな悲しくはなかったと思うねんなあ。ってなると、やっぱり自殺したんが悲しかったんか。
 あるいは!生きてるうちに散々苦しんで、それで苦しいままに死んでいったんが悲しかったんかもしれへん。私は基本的には、基本的には好きな人間には幸せでいてほしいのでね基本的にはね、やから、芥川がしんどいしんどい言うてそのまま死んじゃったんが悲しかったんかなあ。そんな気する。余談やけどな、高3の河童忌の話やねんけどな、現文の先生と河童忌ですね~~~みたいな話しててんけどな、その時にな、なんとなく「芥川って生きてて楽しかったんかなあ」みたいな事先生に聞いてんな、そしたらその先生がな、「しんどい事も多かったんでしょうが、妻との文通なんか見てると幸せそうですよね、少なくとも楽しい事幸せな事も色々あったんじゃないかなあ」みたいな事言ってくれはってな、なんかそれが嬉しくて嬉しくてちょっと泣いたもん、まじで。いや、ほんまに芥川が幸せやったかなんか知らんけどさ、でもそう考える余地があるってだけでな、もうな、言い様もなく嬉しかってん。嬉しかったから未だに覚えてる。
 となると、やっぱり芥川がしんどいしんどい言いながら死んじゃったんが悲しかったんか。
 あ。なんかふと思ってんけど、芥川が生きる事に苦しんでた事自体はそんな悲しくないかもしれへん。たぶんやけどな、芥川がしんどい苦しい死にたい言いながら生き続けてそのまま寿命全うして死んだとしても、「はーーーい、おっけーでーーーす」くらいにしか思わへん気がする知らんけど。苦しみの度が過ぎて自殺っていう結果に繋がったんが悲しかったんかもれへん。今めっちゃふと思った。それやわ。死ぬほどしんどくて、それでほんまに死んじゃったんが悲しかったんやわ。おっけ。解決した。書く事なくなったわ。終わるか。

 あ。最後に余談パート2だけさしてほしい。なんかな、「芥川が亡くなった」がな、どうしても言えへんねん。芥川以外の諸々に対して「亡くなった」はいくらでも言えんねんけど、芥川に対してだけはなんかな、なんでか知らんけどかなり意識的にじゃないと「亡くなった」って言えへんねんなあ。音だけ見れば「無くなった」とおんなじやしかなあ、「芥川は無くなってないから!」みたいな変な反抗心でもわいてんのかもしれへん。だって作品は残ってるし読まれ続けてる訳やんか!頭ふわふわお花畑人間なんかしらんけどな、芥川の作品だって芥川龍之介の範疇って思ってる節あるからな、人間の芥川が死んだって全ての芥川が損なわれた訳ではないというか、なんていうか、作品がちゃんと残っててそれを読んでくれる人がいる限り芥川が完全に無くなっちゃった訳ではないかなぁ~~~みたいな……んふふ。訳わからんな。そろそろ黙ろか。

 よし。終わるわ。じゃあな。

 待って最後にもうひとつ、賞味期限2年も切れたゴールデンバット、これもうさすがに吸わへん方がいいよな?

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