バトルスピリッツブレイヴ(再掲版)

[この記事は過去に他所で書いたものの再掲載です。若干の加筆修正はされております。]

 
バトルスピリッツブレイヴ(以下ブレイヴ)全50話。
 視聴し終えるに当たり、満足と言うべきか不満と言うべきか、未だ何とも言い切れずに居る。考えを纏める意味も兼ね、とりとめも無く書いてみる事にする。結論の出る話にはならないかもしれない。

 ブレイヴとは、「対話」するアニメであった。
 物語の序盤は「人間対魔族」という単純な対立構造から始まり、やがて民族主義、人種差別と主人公「馬神 弾(ダン)」以下、過去の英雄達の自己否定を経て、最終的に全ての根源である「異界王」の存在の疑義を問い、人々は再び歩み始める事で物語は終局を迎えるに至った。

 ブレイヴはカードゲーム「バトルスピリッツ」の販促アニメという側面を持つ。
 作品の性質上時間の半分以上がカードバトルを占めるのだが、それを逆手に取り長い対話劇とする事で少年向けでありながら、物語性と問題提起を視聴者に与えている。
 彼らカードバトラーはブレイヴの世界観に於いて代理戦争の戦士であり、交渉人でもある。
 フィールド上で繰り広げられるのはカードによる頭脳戦であり、舌戦であり、騙し合いであり、真っ当な怒りであり、真摯な思想信条の表明であり、理解と共感であり、……そして愛の告白であった。
 と、書いてみて気が付くのがブレイヴにおけるカードバトルには政治的な側面がある。しかしながらそういった匂いを打ち消しながら少年向けバトルアニメの形が整っているのは、「ライフで受ける」という「痛み」が伴う「殴り合い」、理性と共に感情をぶつけ合うクラシックかつベーシックな少年漫画的やり取りが、実は対話での相互理解における根源をなす要素だからだ。
 直接会う、率直に対話する。これが実は難しい。感情が先走り話がまるで通じない、結論ありきで話を進めようとする、などというのは何処でもよくある話だ。
 殴るわけではない。だが痛みを伴う会話。相手を尊重しながらも肉体的感覚に訴える対話。実は巧妙に考えられたシステムなのかもしれない。 
 
 ブレイヴは主人公ダンの成長譚ではない。むしろ成長したのは「世界」である。
 ダンの物語として言えば、堕とされ絶望した英雄が再び甦る再起の物語であった。その最後に至るまで正に英雄的な行動だったが正直そこには疑問を感じざるを得ない。ただ、今は後に置く。話を進める。
 
 世界という視点を置くと、物語は群像劇の様相も見せ、ダンの影響を受けた人物、バローネを筆頭に変わりゆく人々が描かれる。
 ブレイヴの世界に明確な「敵」は存在しない。
 正義と悪という二元論の対立軸は早々に意味を失い、人間と魔族という人種間の対立、差別という問題が浮き上がってくる。その問題を突き崩すのがまたバトルによる「対話」である。あくまで少年向けの物語である点を踏まえて少々簡単に話が進む部分はあるが、それでもこれは現実への接点、切欠となりうる。問題提起として十分な力を持つと考える。
 その中で一種異様な様相を見せたのが中盤での「獄龍隊」である。
 彼等に対話は通じなかった。これはいわゆる「原理主義」が端的に現れたもので、簡易な表現で明快な悪役として描かれていた。危うい表現ではあったがそれは彼等自身が自らを「法」であると錯覚し、その先の「解釈」も「思考そのもの」も拒否する姿勢を判りやすく描くことでその危うさを提示していると言える。
 
 中盤から最後に至る要素のもう一つに、ダン始め過去からのメンバー達が諦観の淵にあった自らの存在意義を考え、再び歩きだす物語、という側面がある。
 彼らは敗残者であり、逃亡者であった。彼等は絶望していた。何に?「自分達の時代」に。詳細な描写や説明は無い。だが断片的に語られる「親友の死」「英雄からスケープゴートへ」といった出来事が彼等へ落とした陰は想像に余りある。
 前作までの彼等の旅は冒険であった。明確に「敵」が存在し、自分が何をすべきかも悩まず進む事ができた。故に世界と「影響力のある自分」の関係に思い至らず、結果、敗北したと言える。
 ブレイヴでの彼等は「学ぶ旅」であったと言える。自分の立ち位置と世界への影響力を行使する方法を学んだのだ。
 ダンの不幸は劇中で異界王が語ったように「異界王を倒した」のが彼であった事にある。
 バトルする、対話する事とはすなわち相手の思想、信条に思い至る事であり、相手を理解する事に繋がる。
 事の善悪は歴史が決めるとはよく言ったもので、異界王の行動が悪だったのか、ダンの行動が結果として後の混乱を招いたのかダン自身が思い悩む事が、結果異界王への共感へと変わっていったのだ。
 
 ブレイヴは馬神 弾という少年の英雄譚でもあった訳だが、それ故か彼には何かが欠けていた。私にはそう思えてならない。
 彼の視点は常に大局に置かれていた。そして過去の自分の行動に自分自身でけじめを付けたとも言える。

  「もっと楽に生きろと言ったのに」(49話、硯 秀斗)

 彼はもう少しだけ周囲を省みても良かったのではないか、我侭を言っても良かったのではないか、まゐが必死に引き止めたのは報われなかったのか。本当にそう思う。
 
 彼は帰ってこなかった。それは既に俗世で生きる事が適わなくなった英雄の最後として、必然だったのかもしれない。
 ただ、こうも思う。

   「御都合主義」でいいではないか。

 ここ最近の主人公が消滅する最後といえば「まどか・マギカ」があったが、かの作品には「希望」が残された。そこに至るのは決して不幸だけではない。ブレイヴにも解釈次第といえるがうっすらと希望は見える。だが恐ろしく薄い。未帰還、死亡と解釈されても致し方あるまい。ただこの点だけが納得いかなかった。

 残された人々の闘争は続く。現在も未来も。表立っても暗闘でも。なにも終わらない。むしろ始まる。ここから。
 
 

 アニメは2年間、非常に楽しめました。「子供騙し」ではない、真に真摯な「子供向け」の最上級の作品だったと思います。ありがとうございました。面白かったです。……ただ、まゐ様二十歳前に未亡人ENDはやっぱりキツいです……。

……OVAで「激突王の帰還」とかやりませんかね……


[2018/12/27追記]
 はい、そういうわけで、公式から新作エピソード3話発表のアナウンスがありました。
 やれ嬉しや、心が躍りますな!ですが伏して落ち着き続報を待ちたいと思います。
 これは死ねない。新たな生きる励みになりますな!

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