初心にかえって
活動をもう一度頑張っていきたいと思い直している。
Twitterのスペースで、noteの話をしていたとき、”ここまでこだわりがあったんだ”と自分で思ったのだ。
哲学書読書会に週3取り組んでいたり、Twitterを中心に哲学の話をする<場>を提供する活動をしたりと、日々忙殺され本来の中心的活動であるはずのnote更新がおざなりになっていたのだ。
以前は、毎日定時に更新してとんでもない速度で1万ビューを突破していたのが、今は大した目標もなく、週一更新するか否かとなっている。
当時はなぜ無理せずそんなことができていたのか。
こういったらなんだが、やはりモチベーションと経験の違いであると思う。
まず、モチベーションの部分から深掘りしていこうと思う。
モチベーションというのは、つまりはやる気やお気持ちと言い換えが可能な表現だと思う。
わたしの行動の原動力は、”お気持ち”なのだ。
お気持ちのせいで・お気持ちのおかげで、わたしはいろいろなことから逃げてきたし、そうしていろいろなことに挫折・失敗し、苦悩を味わってきた。
それも全て経験に繋がっていくが、その前にこの面倒くさいお気持ち問題を解決しなければいられない。
お気持ちに翻弄されなくなることによって、わたしは強くなれると思うのだ。
この問題は、最終的に”なぜわたしはエッセイを書くのか”や、”なぜわたしは哲学を学ぶのか”に繋がる。
ごく抽象的な表現で、”強くなりたい”と書いているのは、その抽象性に様々な事象を代入することによってわたしの可能性を垣間見たいという希望的観測である。
次に、経験の部分を深掘りしていく。
昨年7月からのnote更新活動によって、わたしは目に見えて成長したと思う。それは紛れもない事実である。
なぜなら、それまでの、”自分の決めたことすら自分で守れない自分”から、”目標を確実に達成できる自分”に変わったのだから。
それから、#きょうてつ の成功。これは、わたしだけの力ではないが、わたしに自信を持たせてくれているのも間違いない。
(※ここで誤解してほしくないのが、#きょうてつはけっしてわたしの承認欲求を埋めるために行っている活動ではないということだ。)
そうした成功体験の積み重ねが、成功した経験になっていき、わたしの自己肯定感を支えてくれているのだ。
ここにおいて、わたしのお気持ちのネガティブな側面が完全に克服されている。
こうしてわたしは強くなっていくのだ。
◇
わたしの中のお気持ちというネガティブな衝動が、経験のもつポジティブな作用によって緩和されたのである。
わたしは自分の成長のためにエッセイを書き、自分の未来への希望のために哲学を学ぶ。