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全部個性でオールオッケーなんじゃない?

今のマイブームは
以前フォローいただいていたけど
その後ご縁がなくなっていた人の記事を読みに行くってやつだ

そこでも お!っていう記事を見つけたら 
紹介しちゃえと思っている。

これはタイトルで読みに行ったんだけど

最近イントネーションの違いを修正する場面みたっけ?
そういえば 私は指摘される側であることが多い
でも結構気にしてなかったりする。

沖縄に本社がある会社にいたとき
本社の人に 向こうの方便を使われて
まったく理解できなかったことがある。
理解できないことを知ってて使ってくるのだから
意地悪なんだけどね

何言ってるんですか??ってなったんだよね
まったくわからんのはこまるんだが 
通じるならそれはそれでええんちゃうんと思っている

関西人じゃないのに使う関西弁には突っ込みたくなる気持ちはある
わざわざ関西弁使わんでええんちゃうの?ってなってたんだけど
最近感じることは おかしな関西弁を使う人の
大阪特有の言い回しは 自分の知っている意味で判断しないということだ
まあ 代表的なんは「しらんけど」であるのだが
昔から関西に住んでいる人の「しらんけど」と
最近使い始めた人の「しらんけど」のニュアンスは大きく違う
だから イントネーションの違いは
それを判断するのにめっちゃ役に立っている。
なので 直さないでおくれ・・・・そのおかしな関西弁。
と私は最近思うのだ。

記事を読んでて思ったのだが
まるっと関西弁というけれど 自分の育ったコミュニティーや
環境、周りの人たちによって それぞれ
その方言にも 個性ってのがある気がするのだ
個人では少しづつ違っているけれど
余白のような感覚があって それを少しでもかすってたら
同類としていったとき

関西以外から見た
大阪弁 京都弁 兵庫弁 和歌山弁の違いなんて同じようにきこえてて
大阪弁の中でも 大阪弁に違いがあるなんて 大阪にいないと判別つかないみたいなもんで
外人から見たら全部日本語であるわけで・・・
その枠をどこで引くか みたいなところなのかもしれない
私が使う言葉は 志彌弁ということにして 
それぞれの人が固有の〇〇弁ってのを持ってると考えたら 
イントネーションの違いなどそれぞれ固有のみたいに言えちゃうんじゃないかな・・・。

占星術上 それぞれの個性があっていいみたいな意味の時代になったと考えていいわけで 全部 全員それで OKみたいな感じが
心地いい時代になるのかもしれない。

面白いな。。。。
そんな気付きの時間をもらっいました。

考えるきっかけをくれる 記事がほかにもいくつもあったので
新しい出会いを探している人は 読みに行ってみてね!


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