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塩爺…😅

塩川正十郎。
この名前を久しぶりに目にすることになったのは
図書館での事だった。

シオジイ…。
このじーさんは
村が町になり市になっていく間
かなりのキーマンだった父を持つ人だと知った。

塩爺のお父さん
布施町 町長
布施市 市長 してはったんかー
村が市に移り変わるそんな時代 この地域で
その中心の中にいた人なんかーと思うと
少し興味が湧く…。

…?
ん? 塩爺じゃなく 塩爺パパに😅

きっかけは東大阪商工会議所の歴史的な本だった。
それはわたしが 自分の祖父の名前を探してみよう!
という思いつきでの事で手にした本に

塩爺を見つけたからだった。

まあうちのじーちゃんの話はどっかで書くとして…。

あーなんだかんだで
塩爺が最初なんで運輸大臣か?というのに
あーこれかーと思ったのが
昭和23年に塩川正十郎 布施運送株式会社 ってのを
見つけたことからだった。
その後、長らく名前見つからなくて
昭和36年に 三容起業株式会社という会社名の塩川正十郎めっけた!

こういう歴史的な流れの本とかって
全員が名を連ねてるわけじゃないのはわかるし
まあなんとなく役職あるで的な人たちがなを連ね残っていくのだとすると
抜けているってのは当たり前で
続いて掲載されてる人の方がすごいんかもしれん…。

実際 塩爺をググッてみて
あー息子さんが 近鉄バスの社長してはったんかーとか見えてくると
ますます 「運輸大臣 塩川正十郎君」っていうのが
ありなんだなーって思ってくる。

うちの父は 塩爺が運輸大臣になった時。
「城東貨物客線化は早く実現するかも!」と思ったようである。
それは 地元である 東大阪商工会議所に 客線運行促進委員会が
昭和32年に設置されていたことを知っていて 
商工会議所に塩爺も関わっていて そんな動きを知っていたであろうと思ってたからかもしれない

1981年に旧国鉄が線増・電化の運輸大臣認可を受けていたというのだから
塩爺の功績ではあるんだよね やっぱり…
着工がまあお金の関係とか もろもろで1996年から
2008年放出ー久宝寺間開通
その後新大阪まで開通して…今便利に使わせてもらえておるのであった…。

塩爺…地元貢献してたやん 布施の衰退もちょっと加速さしたけどさ😅

おおさか東線は 私にとっては
完全布施方面に足を遠ざけた
確実に 天王寺や 新大阪 梅田に出る機会を増やしたからね…。
難波すらあんま行かないものね。。。。

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