安楽死貯金・死ぬために生きる人

2015年、月に1週間ほど突然足の感覚が無くなる症状 2017年、完全に歩けなくなり病…

安楽死貯金・死ぬために生きる人

2015年、月に1週間ほど突然足の感覚が無くなる症状 2017年、完全に歩けなくなり病院で緊急手術 術後回復はない。 2024年3月A型就労施設に入所 麻痺による痺れ痛み痙性麻痺により苦痛な日々に嫌気が差し、他国で安楽死をすることを決める 安楽死をするために貯金をする1人の物語

最近の記事

《r6.9.30》続・死にたがりの生きたがり

そもそもわたしは昔から死にたがりだった 物心ついた頃にはトイレで縄の縄飛びで首を絞めるという癖があった それが死に直結するんだと、小学1年生の時には何故かわかっていた。 カンのいいガキは嫌いだよ 幼少期の私は健康で、今のような障害に苦しんでいた訳では無い その他にも理由はあった訳だがそれはまたいつかどこかで話そう。 そんなわけで昔から死にたがりだった それを友人は知っていて 死にたがりの生きたがり そう表現したわけだ これを読んでくれているあなたは少なからず

    • 《r6.9.24》死にたがりの生きたがりだよね。と友達に言われた時の話

      どうも、死に向かって生きる人です 私は身体障害があり、苦しみや痛みからの解放のために安楽死を目指している それは事実であるが、 それよりも前にも自殺願望はあった。 親からの躾、学校でのいじめ、集団行動での気疲れなど とにかく要因は多かったのだ。 10代の頃、希死念慮について友人に話したことがあった あまり鮮明に覚えている訳では無いがその時 死にたがりのくせに、生きたがりだよね。 そんなことを言われた。 嫌味でとか意地悪で言われた訳では無かった その子はストレートな

      • 痛みが強くて入眠できない。最近睡眠時間が3時間程度しか取れてない

        • 死ぬのはみんな一緒。必ず死ぬ

          どうも、死に向かって生きる人です 今日のテーマは ----------------------------------- みんな必ずいつかは死ぬ ----------------------------------- 《死ぬなんて寂しい》みたいなことを言う人がいる 実は私も幼少期、死ぬ事が怖かった だけど、今私は死ぬ事が楽しみである それは痛みや不安からの解放があるからであるから。 だけども、身体障害を患う前は死が恐怖でしか無かった 楽しい輝いた日々に終わりが

        《r6.9.30》続・死にたがりの生きたがり

          《r6.9.7》安楽死貯金

          こんにちは、死に向かって生きる人です 現在の安楽死貯金額についての報告 安楽死貯金額:10万円前後 実際はもう少しあるが、ここから生活費が発生するため大体の額で報告 私事であるが、やっとクレジットカードの分割が支払い終わった。 あとキャッシングが3万円程度 少しは貯金額も増えそうなな流れ。 ただ、今引越しを考えているので0にもなりそう 今の会社で働き続け、副業も少しずつやっていきたい。 目指せ200万

          r6.9.6死ぬ前にやってみてもいいお金を稼ぐ方法

          こんにちは、死に向かって生きる人です まず先に言っておくが、やるもやらないも勝手である また、この記事を書くこと・伝えることで私にはなんの利益にもならない。 案件でもなんでもないということを伝えておく。 以前の記事で【障害者は働くのが大変】みたいなのを書いたと思う。 明確なタイトルは忘れてしまった とりあえず働き口を見つけるのが大変だということは確かだ が、メディアや動画サイトに「○○をするだけでお金が貰える」 みたいな広告が出ているのを見かける 大体が詐欺なの

          r6.9.6死ぬ前にやってみてもいいお金を稼ぐ方法

          r6.9.4死の覚悟

          こんにちは、死に向かって生きる人です あまり書いていなかったけど、今日は書く気分。 SNSを眺めていると時々「○○の家族です。○○は闘病の末亡くなりました。ありがとうございました。」 のような内容が流れてくることがある 結論から言うと私は死に向かって生きる人であり、死ぬ覚悟は出来ている と思っていた。 が、そのような投稿を見た時に ああ、私 最期が近づいたら足掻くかも知れない そう、生きることに執着をしてしまっている気がするのだ。 ここを覗くと自死を望む人をち

          《r6.7.17》病は気から この言葉使ってる人がきらい

          病は気から この言葉、私大っ嫌い という前提で話す 否 この言葉の真髄を理解せずに使っている人が嫌い。 《病は気から》 気の巡り(血液の循環や心臓の動き、呼吸など生きるための基礎)が悪くなり、調子を崩している。 これが本来の意味である 現代人の使い方は 気持ちが沈んでるから元気がないんだ、病は気からだよ だいたいこんな感じ ばーか 気のもち用で病気が治ってたら医者なんてものはこの世に生まれなかったし、痛みも出ないんだよ 私はいつも《病は気から》を使う人に対して

          《r6.7.17》病は気から この言葉使ってる人がきらい

          《r6.7.16》安楽死貯金

          どうも、死に向かって生きる人です 長いこと書いてなかったけど、安楽死貯金は順調に溜まっております。 そろそろ20万円に達すると思う まだ確定では無いのは今月の給料日がまだだから。 この頃忙しく結構疲労困憊であるものの、 起きる▶︎家事をする▶︎仕事に行く▶︎帰る このルーティンに慣れてきて、余裕が出来てきた と言ってもまだまだわずかばかりの余裕である。 どのような余裕かと言うと 朝起きて散歩に行き、帰ってスマホゲームをする 休みの日は買い物に行き、部屋の片付け

          《r6.6.13》罪人を生かすということ

          どうも、死に向かって生きる人です。 犯罪者は刑務所の中で生きている その生きるためのお金はどこから出ているのか 私たちの納める税金から賄われている。 皆様、このことについてどう思いますか? 私の知人は《犯罪者を生かすために働いてるわけじゃない。犯罪者を生かす必要は無い》 そういう考えの人が多い 犯罪と言っても一括りにはできない 生きるためにどうしても犯罪を犯すしか無かった ただ何となく罪を犯した 罪を犯すには色んな背景があったであろう。 私は…私は… どうだろ

          《r6.6.13》罪人を生かすということ

          《r6.6.12》お金持ちになっても仕事は辞めないだろうな

          どうも、死に向かって生きる人です。 今日も1日安楽死を楽しみに働いた 仕事は楽しい もちろん嫌なこともあるが、基本は楽しい 労働が好き 仕事は真面目にやっていれば必ず成果が出る 努力すれば必ず結果として現れる 結果が出ることで認めてもらえる 承認欲求を満たしてくれる、 それが仕事だ。 10億円当たったらダラダラ生きてしまうか? いや、ただ生きているだけじゃなにも満たせないと私は感じる 人や動物は誰かや何かに認めてもらいたいいわゆる《承認欲求》が少なからずある

          《r6.6.12》お金持ちになっても仕事は辞めないだろうな

          《詩》戦草

          雑草 ざっそう どこにでも生える どこにでも増える どこにでも広まる 地に根をいっぱいに広げ 暗い地中深くまで根を張る 手で抜く いいえ私たちは種を残しています 草刈機で刈る いいえ私たちはまたぐんぐん伸びます 除草剤をかける いいえ私たちは進化し薬でさえも乗り越えます 戦草 いつまでも私たちは戦います 負け知らずの雑草

          《r6.6.11》生死に対する価値観

          どうも、死に向かって生きる人です。 まず初めに私は死ぬために、今を生きていることを前提として今回の話をします。 世の中の人々は生きる目的として色んなものがあるだろう。 例えば ・夢のため ・家族のため ・推しのため ・欲しいものを買うため こんなことでは収まらないくらいきっと色んな目的があるであろう 私にとっては《死に向かうこと》が生きる源であり、目的である だが、他の人の目的や夢を私は否定も肯定もしない それは人それぞれみんな考えや環境が違うから。 なぜこん

          《r6.6.11》生死に対する価値観

          《r6.6.10》ギャンブル依存症から抜け出した話〜2つ我慢したら1つ許す

          どうも、死に向かって生きる人です。 私は数年前まで重度のギャンブル依存症だった きっかけは、当時接客業をしていた事でお客様に連れていってもらったことが全ての始まり それまで興味がなかったのに、1度大きなお金が出たばかりにハマってしまった 給与が入ってその足でパチンコに行く、その繰り返しで実家に住んでからはクレジットカードでキャッシングしてまで行くようになっていた。 そして障害者になったことで働くことが出来ず、返済もできず、1度全て真っ白にした。 そして今ではスッパリ

          《r6.6.10》ギャンブル依存症から抜け出した話〜2つ我慢したら1つ許す

          《r6.6.9》自殺は数え切れないほど考えた

          どうも、死に向かって生きる人です 今となっては《安楽死》のために生きている私ですが、幾度となく自殺を考えた。 今でも 消えてしまいたい  と思うことは沢山ある が、以前の投稿にも記した様に人に迷惑をかけたくないという意味で自死は選択肢にない 《消えてしまいたい》と思う理由は数え切れないほどある 障害による痛みや不自由さ これがメインであるが、他にもある 人間関係・金銭関係・家族関係… 色んなことがあって記憶の1番古いところで小学1年生から《自身の首を縄跳びで絞め

          《r6.6.9》自殺は数え切れないほど考えた

          【r6.6.8】幼児を暑い車内に置き去りに。

          どうも、死に向かって生きる人です 先日、某家族YouTuberさんが《暑い車に子どもが閉じ込められた》という動画をアップしていた ※既に動画は削除済み。他の方がアーカイブをアップしている。 ニュースにもなるほどの大事で、批判の声が相次いでいる この動画を私も見たが、あれは殺人に値するレベルだと感じた。 私は確実に《死ぬことを希望している人間》であるわけだが、死を希望しない者に対して死に値するようなことをするのは殺人だと個人的に思う 死への覚悟をもって生きる生き物、

          【r6.6.8】幼児を暑い車内に置き去りに。