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ぐい呑を作るにはやはり酒を呑まなければ作れないのか


先日お会いした陶芸を学ぶ学生さんでお酒が呑めないけど、ぐい呑を作るならやはりお酒は呑めるようにならなければいけないのか、という悩みでした。

皆さんはどう思われますか?

結構身近な悩みで、それぞれの見解があることのように思う。

またものづくり全般にも言えることでもあるので様々な角度からのアドバイスがあるのかもしれない。

ある人は、高いお店で貴重な酒を呑め。

ある人は、ぐい呑を作るなら呑めな作れん。

ある人は、酒呑みのお客さんの意見をとことん聞く。

ある人は、全国のぐい呑のカタチの統計をとって、その平均値を出してつくる

まだまだ出てくると思います


私はどうしてきたかというと
20代はほとんどお酒が弱くて呑めないでぐい呑を作っていました。酒呑みに意見を言われるとやはり自信がないので縮こまっていました。私のぐい呑をみて、君お酒呑まないやろ、と鼻で笑われたこともありました。

だんだん人のぐい呑を買ったり使ったりしているうちに段々お酒に慣れてきて、弱いことには変わりないのですが、毎日ちょっと呑みたいてなことになってきました。今では、晩酌はやめていますが、30代は今日はどのぐい呑でどの酒を、なんて楽しみ方をしていました。弱いなりにこうゆうのが自分は好きなんだなと自然と浮き彫りになってきたこともありました。それは思いつきや考えて出した答えでもないので、何か自分の中で確かな感触として残るものでした。

人の意見は耳を傾けるべきですし、
人の意見を聞く素直な心を持つべきだと思います。
同時に同じぐらい自分の意見も必要だと思います。作る人は。

それは、きいてやる、データをなぞる、キットを組み立てる、では得られないことで、自分で失敗して工夫して掴みとったものでないと、自分の意見や自信にはなりにくいものです。

今日はこのことを考えていたのですが、
分析してみると、
必要なことは

感動と納得と意識が必要不可欠で、それがあれば方法はどれでも良いのだと思います。

でも、やはり、100人いたら99人は作るものは使うものであれば、作り手は使う必要があると思う。使うこと使ってもらったことをみることよって、用途への納得とそれに必要なことの意識が入りやすいから。お酒が飲めないなら、ぐい呑でお茶を呑む、でも良いと思う。料理をしないならお惣菜を器に盛り付けるとか。。別の使い方でもよいので、、。

自分が全てに出来ているわけではないのですが。。

酒を呑みたいから作る
作りたいぐい呑があるから作る
ぐい呑を使いたいから呑む
信頼している方に頼まれたから作る
テストに丁度良いサイズだから作る
売れやすいから作る
隙間に入りやすいから作る

色々な衝動はあると思うが、
上位3つぐらいがやはり説得力があるものを生みやすい。

ぐい呑は大酒呑みのためにあるわけではない。
下戸ぐい呑があっても良い。下戸なら下戸にしか作れないぐい呑を作ってやるぐらいの生きるつよさが、必要かもしれない。

やはり、使うアイテムは自分が使わないと
説得力がでないのは当然のことである。

お花もお茶も中国茶も料理もお酒も、どれもやらなければならないのかもしれない。作るには。

本当に興味のあるものからやって、自然とでてくるもがある、そこから広げていけば良いのではないか。

ぐい呑に拘ることはない。

酒器ばっかり作っている陶芸家がいてそれを売りにしているが、それは戦略的にそうできることではない。やはり、酒が好きで酒器がすきでなければできないことだと思う。

興味と感動に素直で
イメージを意識できて
それに納得度がどれだけついてきて
発見がどれだけあって
また使い心地に満足度がどれだけついてくるか

まあ言うのは簡単ですな…










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