逆⇔本能寺の変-さいごに③-
機会損失に焦った光秀
このように協力者のうち、村重が謀反を起こした時点で光秀はこのクーデターを諦めるべきだった
だが、機会損失に焦ってしまった結果、単独で本能寺の変を起こしてしまった
この時の明智家、織田家たちの家臣たちの平均年齢
神君伊賀越えをした徳川家臣たちの平均年齢は34歳で明智家より5歳も若い
光秀が焦るのもわかる気がする
さらには秀吉と官兵衛に、信長追放ではなく、謀反人光秀を討つという計画にすり替えられ、中国大返しを利用されたことは、大誤算だった
「京都クーデター計画」は、織田家へ転職したばかりの頃、光秀は、冗談混じりで同僚にけっこう話していたかもしれない
それは、経営者・信長の耳にも入っていたものの、信長自身まさか討たれるとは思っていなかったと思う
そう考えると「是非に及ばす」と信長が最後に発した言葉がこれまたしっくり来る
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