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逆⇔神君伊賀越え-おわりに-

家康一行は総距離200kmを2泊3日で越えられたのか

この道のりを遡ってみて、調べてみての答えは『できなくはない』だった

【理由その1】

200kmのうち乗馬による移動が大半

全て乗馬だったという説もあるが、3日のうち1日程度(40km)は山越えのため徒歩で越えていたと思う

この距離なら現代人の体力でも越えられなくはない

ちなみに200kmのうち、三重⇔愛知間の30km程度は夜の海を船で渡っている

【理由その2】

護衛面もぬかりなかった

襲撃を受けた主な所は、伊賀の入口と出口にあたる2箇所だったことが判明

伊賀側からすれば門番として家康を通過させることに害がないかの確認程度に思えた

また、地元の案内人、甲賀軍の護衛をつけ、1里(4km)、1刻(2時間)単位で計画的に通過しており、護衛面も万全だった

『できなくはない』はズルいけれど、 草鞋で歩いたこともないし、自分で調べた情報が全て正しいとも限らないので笑

ただ、伊賀越えの道中を実際に辿ってみて、肌感では『できる』手ごたえはあった
他にも道中、気になったことを調べてみての仮説をとりあえず5つ

これからまた気になったことが出てきたら調べてみようと思う

【まとめ】

家康は3日で200kmの伊賀越えをして岡崎に逃げ帰るどころか、さらに甲信駿3カ国を狙うため同時に動いていた

つまり中国大返しをした秀吉よりもっと先に織田家領地を着手していたのだ

っていう、まるでサスペンス映画のような結末

こちらの予想を遥かに越えていて、最後の最後でそのことに気づいた

久しぶりの遠征だったが、無事帰京できたし、楽しい夏休みなった

■おまけ■

加藤廣著 『家康に訊け』

著者晩年の作品

前半は家康の功績

後半は関ヶ原の戦い後の福島正則周辺での2部構成の物語が連ねてある

家康は調べれば調べるほど奥が深い

もし今、誰かに「家康は、良い人なのか、悪い人なのか?」と訊かれたら「偉大な人だ」と答えるつもりだ

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