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家族のデグー、フレディ君との6年間。

我が家の可愛い小さな家族が死んだ。

2014年の12月、ハムスターを亡くしてペットロスになっていた僕と母がホームセンターで買った動物はデグーという動物だった。僕は事前にある程度知っている生き物だったので、「なついたり、芸を覚えさせたりできるぐらいかしこいんだって」と言うと、かわいらしくはあるけど、尻尾がネズミに似ていて嫌だと言っていた母の態度がすぐさま変わって、「買いたい!」と言った。

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多数飼いの子を買うのはなんだか引き離すようで可哀そうだね、などと話してペットコーナーをよく見ていくと、ゲージにひとりぼっちな子がいた。店の紹介によれば、チェコ生まれのオスのデグー。まだ生まれて一か月経つかぐらいのわんぱくそうな子。5000円。「この子かわいい!」と即座に飼育道具も一式買って家に帰った。名前は母が好きなバンド、クイーンのボーカル「フレディ」がいいと言い、僕も好きなバンドなので「いいんじゃない」と名前が決まった。ともかくこの子は家族の一員に加わったのだった。

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初日から全く警戒せずにこちらにやってきて興味を示す、とても人懐っこい性格で、デグーは鳴き声を発するので、うれしいとき、怒っているとき、びっくりしたとき、その都度よくかわいらしい小鳥のような鳴き声を出しては僕の心を夢中にさせてくれた。

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フレディくんの6年半におよぶ動物としての生は、僕の心の拠り所だった。この子を飼って一年あたりで個人的な事情諸々で精神的に疲弊し、それは3,4年続いたのだが、いつでもゲージに行くとこちらを歓迎してエサをねだったり、かじり木をあげるとものの数分で木くずにしたり、顎を撫でると気持ちよさそうな顔をして反射的に片腕が上がったりしながら、キューンと鳴いたりして僕を癒してくれていた。本当に本当に可愛かった。

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最後の二年間は僕も精神的に持ち直し、ちゃんと仕事にもありつけ、母、僕、フレディは一緒に暮らした。基本的に仕事の問題でどちらかが家にいない、もしくは両方ともいない事があったので、夕飯に茶の間で僕と母がいると、とても嬉しそうに回し車をまわしたり、嫌いな食べ物だと「いらないやっ」というような感じでポトリと落とし、逆に大事な食べ物だと、いそいそと口に咥えて砂を掘って埋めるしぐさをして、まったく埋まってもいないのに「よし!これでだいじょうぶ!」というような仕草をしたり、本当に家族そろっての夕飯はフレディのおかげで終始和やかだった。

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去年の夏ごろに結膜炎にかかった以外で目に見える大病はしなかった。

でも先々週あたりになり唐突に衰弱し始めた。「ついに来たな」と思った。

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食欲もなくただただ具合が悪そうにして動かなくなってしまい、結膜炎も再発。どんどん衰弱しきって「もうダメなんだなぁ」と胸にグッと来るものを感じた。

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結膜炎以外は目に見える異常がまるでなく、何かを痛がるわけでもない。もう殆ど老衰みたいな衰弱のしかたで、動物病院で貰った抗生物質とペット用の目薬を与えつつも、「最後だから」といつもは絶対にあげないような、ご飯つぶなどを与えるともぐもぐ食べ始めて、いきなり元気が戻ったのだ。結膜炎も治り、骨ばってはいるものの、いつものフレディに戻った。一時的なもので、また同じ状況に陥る事は薄々感じながらも、生きようとする命ってなんて凄いんだろうと心から思った。

しかし、それも一時の喜び。三日ほど前からまた衰弱して何も食べなくなってしまった。後ろ足をほぼ引きづりながらもこちらに来て膝に乗ったりする健気さが悲しかった。

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時間がある限り手やタオルでくるんで一緒に寝た。後悔しないようにしたかったから。そして昨日の昼、痙攣発作を起こして吐血し、仰向けになって震えだした。これはかなり心に来た。家族の苦しむ姿は形容しがたいものだった。動物を安楽死させる人の気持ちが少し分かった。こんな辛そうな状態で生かせておくのが申し訳ないと思った。

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そして今日、仕事から帰ってくると、朝まだ息をしていたフレディは固まって動かず呼吸をしていなかった。もう死後硬直が始まっていた。

6年間、僕を癒し、慰め、楽しい気分にさせてくれた家族は形だけを残して逝ってしまった。外は晴れている。フレディは日光浴が好きだった。

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いい天気だよ。フレディ、本当にありがとう。辛かったろう。もう苦しむ事もないんだよ。君に僕は何もしてあげられなかった。お嫁さんを連れてくることもできなかったし、同種の友達もつくってあげられなかった。今更謝っても遅すぎるけど、ごめんよ。君は僕をその短い6年でどれだけ癒し、救ってくれたか知れないのに。いつでも君は名前を呼ぶとこちらにトテトテ歩いてきて、頭をなでてとばかりに首を下げて甘えてきてくれたね。君は5,000円で家にやってきて、お金じゃない幸せを惜しげもなく僕にくれた。何億円あろうと決して得られない幸せを。

君はやんちゃで人懐っこくてとっても寂しがりだったから、もし死後の世界があるとすれば、君のお母さんお父さんにいっぱい甘えている事だろう。痛がることもないし、おなかも減らない、あたたかい場所にきみの魂が行っている事を祈るよ。

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ペットを飼うということは、その死もちゃんと責任を持って見届けなければいけない。当然だ。前途のようにブリーダーでもない限り、同種の相手と一緒にさせることはできない。その時点でもはやエゴなのだ。人間の身勝手なエゴなのだ。だから、それに報いるためにも真正面からペットの死を受け入れるべきだ。それができないようならペットなんて飼ってはいけない。

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デグーの平均寿命はおよそ6年から9年ぐらいだという。僕はフレディは天寿を全うしたんだと信じている。でも、もっと生かしてあげられたのか?それはもう分からない。

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ただ、僕は一生を生き切った大切な家族であったフレディに拍手を送りたい。君は偉かった。生と死を僕に噛みしめるように伝えてくれたように思う。でも君の肉体は消えたとしても魂は僕や母、姉夫婦、可愛がってくれた友人の記憶に残り続ける。だからいつでも記憶で帰ってきてくれる。僕は一言しか思い浮かばないけど、ありがとうと言いたい。また僕の記憶の中で元気に飛び回ったり、尻尾を振ったり、食事を邪魔されて怒ったりしてくれる。僕は君と一緒にいれて幸せだった。決して不幸じゃあるもんか。

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