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春雷

しゅんらい【春雷】
春に鳴る雷。多くの場合、寒冷前線の通過に伴う。立春の頃の雷は春の到来を伝えるともいわれ、冬眠していた地中の虫たちが雷鳴に驚いて目覚めるという意味から「虫出しの雷」とも呼ばれる。


 天に近い標高を誇る山地に住む俺は、獣を狩って生計を立てている。
 その日も獲物を探しに山に入った。
 朝は穏やかな空だった。
 どういう訳か中々獲物が見つからず、俺は苛立っていた。
 ようやく一頭のキツネを見つけ、追いかけることに夢中になっていた俺は、空が厚い雲に覆われ薄暗くなっていることに気付かなかった。
 急に冷え込み、雪まで降ってきたというのに。
 
 俺が放った矢が獲物の足に命中。逃げられなくなったキツネの元に駆け寄る。
 勝ち誇った気分であたりを見回し、ようやく我に返った。
 あたりは雪に覆われていた。
 視界が悪く、灰色の世界には俺とキツネだけが取り残されていた。
「世界には俺とこいつしかいないんじゃないか」
 そんな錯覚に陥り、焦った俺は、手負いのキツネを抱え歩きだした。
 どこから来たのか、どう戻ればいいのかもわからずに。
 
 不安に駆られながらしばらく彷徨うと、小さな洞穴があった。
 過去に誰かがいたのかもしれない。焚火の跡があった。
 薪もある。
 凍える俺は火をつけキツネの傷を手当てし、寄り添うように暖を取る。
 
 それから何日かが経った(気がする)。
 持っていた干し肉をキツネと分け合い、雪を溶かして水分を摂りなんとか生きていた。
 が、食料はすぐに底をついた。
 隣にいるこいつを殺せば数日分の食料になりそうではあったが、体を温め合った相棒を殺す気にはどうしてもなれなかった。

(俺のせいではあるが)足を怪我した相棒は栄養も摂れず、段々と衰弱していった。
 こいつが死んだ後は俺も孤独で死んでしまうかもしれない。
 そう思った。
 
 外は吹雪、洞穴は暗いので時間の感覚を失う。
 それほど時間は経ってないのかもしれないし、何か月も経っているのかもしれない。
「腹減ったなぁ……」
 声にならない呟きに相棒は「クゥーン……」とかすれた声で返事をする。
 心なしか相棒も俺も体温が下がってきて、眠くなってきた。
「このまま俺たちは目を覚まさないのかもな……」
 そんなことを思った矢先、洞穴の外で大きな雷鳴が轟いた。
 
「なんで誰もおらんのじゃーーー!もう春だぞ!!出てこーーーい!!!」
 外に誰かがいる?
 こんな吹雪なのに春?
 俺は重い身体を引きづり、洞穴の外に出た。
 雪が吹き荒れる空に、それは浮かんでいた。
 「……女?」
 吹雪の中、肩を出しヒラヒラとした布を腰に巻いた長い黒髪の女性。
 俺は幻でも見ているのだろうか……。
 その女性の周囲は稲光で明滅し、身体から出た電気が集まり雷鳴と共に稲妻を落としている。
 そんな様子を俺たちは呆然と眺める。

 そうこうしていると、雪はいつしか雹となり、その後雨に変わった。
 とても激しい雨がしばらく続くと、雲が晴れ太陽が現れた。
 何年かぶりにも感じる陽の光は俺たちを温め、身体の底から生命力が湧いてくるように感じた。
「帰れるのか……」
 俺はいつの間にか涙を流し、相棒と抱き合い喜び合っていた。
 大量に放電をして気がすんだのか、気付くと彼女はどこかに行ってしまっていた。

 こうして俺たちは助かった。
 あの女性は誰だったのだろう。
 きっと神に違いない。
 
 無事に帰ることが出来た俺たちはその後、何度となく山に入った。
 しかし、彼女を見たのはそれが最後だ。
 後で知ったことだが、吹雪が止み、空が晴れたあの日は2月2日、立春の2日前だったようだ。
「もう春だぞ!!」
 と怒っていたが、まだ春ではなかった。
 彼女のせっかちさが俺達を救ってくれたのだ。
 できることならまたその姿を拝みたいと思い、あの洞穴に祭壇を作り毎年2月2日にはお供え物を供えに行くようになった。
 そして祭壇で相棒と一緒に、彼女の姿を思い浮かべ手を合わせるのだ。


 パチパチと電気を帯びた女性が鼻歌を歌いながら空を散歩している。
 遠くから何かの気配を感じたのか、スピードを緩めその方向を見る。
「……なんか霊力がアップした気がするのぅ……。ま、いっか」
 そう呟き、楽しいことを探しにどこかへ飛んで行った。
 


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