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なにもない、白紙からはじまる。

新年度とか学期始めとか、そういう”区切りの日”の決意表明なんてものは意味がないということにはそろそろ気づいている。
特別な日に掲げた約束事なんて3日も経たずに忘れ去られるのが相場で、ふと思い出したときには自己嫌悪に陥るというスパイラル。

だから私は大々的に目標や抱負を宣言することはしない。
けれども私は私の人生を良く生きたい。
ようやくそう思えるようになって、最近は読書やYouTube動画で勉強するようになりました。

とはいえやっぱり4月、節目の月です。
まずは皆さん、おめでとうございます!進学や就職、引っ越し、異動、生活や環境が変わるひともたくさんいると思います。逆に、何も変わらないよというひともいますよね。それぞれの新生活、それぞれの悩みや不安があると思いますが、どうか希望の多い一年が訪れますように。

・・・と定例的な挨拶をしたところで、私が本当に伝えたいことはこんなことじゃないと主張したい。(笑)

卒業・入学・成人・就職といった人生のイベントが訪れるたび、周りがお祝いムードの中、私には自分だけ前に進めない劣等感と罪悪感があった。いつも置いていかれている気がして、仕方ないと思うのは甘えだと思いながらも開き直ったふりをし続けた。がんばっているつもりだったけれど、がんばれていたのかどうかは分からない。だれも頑張り方を教えてはくれなかった。

先天性の難病、手術、入院。そんな言葉を並べたらみんな「がんばったね」って言ってくれるけど、正直に言おう。私は病気に対して頑張ったつもりはない。それが普通だった。私が認めてほしい頑張りはそこじゃない。

もっと頑張れって言ってほしかった。頑張ってるねと認めてほしかった。矛盾してるけどどっちも本音で、、

義務教育までは何も考えずに済んだ。高校は全日制を諦めたけれどなんとか大学を受験して、初めて学ぶことが楽しいと思った。就活目前に辞めざるを得なくなった。私にとってそれは挫折だった。自分は頑張れない人間なんだと突きつけられた気がした。

そもそも学校すら満足に通えなかった私が社会人としてやっていける自信なんて初めからなくて、大人になったら死ぬんじゃないかなと結構本気で思っていたし、就職できない言い訳が出来たことにホッとしていたのも事実だ。

大学中退から通信大学へ入学したものの、ついぞ同級生はみんな就職していった。(こんな言い方をするべきでないというのは重々承知しているけれど)車椅子ユーザーの障害者の友達も、今では就職して立派な社会人。

人と比べるべきじゃないとかそんな話じゃない。どうやって生きていったらいいのか、まだ、わからない。

だけどやっと、少しずつ未来を信じられるようになってきた。

まだ私にはなにもない。いや、なにかはあるんだと思うけれどわからない。
思えば自分と向き合ってこなかった。考えないことで気にしていないことにしていた。本当は病気そのものも病気のせいにしていることも全部がいやだったけれど、見ないふりをしていたと思う。

みんなと同じところ、違うところ、私にしかできないこと。
向き合う準備ができたよ。遅くなってごめんね、私。

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