遊んだ
闘病してる方に共感できなかった。「休み方が分からない」という話も理解できないくらいには。
自分は休めてると思ってた。ずっと入院してるから。親は虐待も放置もしない、きちんと愛してくれる良い親だった。親なんて間違えない、いわば完璧な親。
なんでそんな親から精神疾患持ちが生まれたの?理解できないよ。休めてるのに、頑張ってないのに。
3年前じゃない今は、入院中ずっと看護師に「頑張ってるから」と洗脳をかけられるかのように言われ続けた。そしたら、休めてないことに気づいた。
環境や周りから見た自分、もっと言えば健常者から見た自分は休めてるはずだと、ずっと思っていたけれど違った。病気持ちは生きてるだけで試行錯誤する毎日だから、頑張ってるんだ。
自分は「健常者から見た自分」というフィルター越しでしか自分と世界を見ることが出来なかった。
ありのままの自分なんて知らなかったんだと思う。
今日、友達と遊んできた。3年以上同年代と遊んでいなかった為、ものすごく緊張して、楽しみもあって、最初はお互い何を話したらいいか分からなかった。この時はしろで、気を使いながら話してたけど、だんだん素で話せるようになっていった。
お互い入院したくて、精神疾患持ってて、共通点が沢山ある友達は初めてだったから新鮮だったと思う。今のこの心の中は「楽しい」でいっぱい。こんなに人に心を動かされたのは久しぶりだと思う。
「今まで楽しさでさえも感じたくなかった。楽しいがあるから辛いがある。だから楽しくなりたくない。」という暴論を掲げて生活していて、新しい担当医から理解が得られなかった。
でも、楽しさを少し受け入れることが出来た。まだ慣れないし全てが心地いいものでは無いけれど、名無しは少し怒ってるけど、少なくともいま表に出てる「自分」は嬉しい疲れでいっぱいだ。
1日じゃ疲れは取れないと思うけど、ゆっくり疲れをとったら今度は自分から遊びに誘いたいな。
自分退化してると言った友達へ。
そんな事ない。あなたは頑張っている。
入院環境から離れて暮らしてるだけで進歩してるんだと思うよ。退化なんて言わないであげて欲しい。
綺麗事に聞こえるかもしれないが、自分はそう思う。また遊ぼうね。
しろ、優斗
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