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飲食店のコロナ閉店について考える

年が明けて、なんとなくコロナという言葉を耳にし始めてから、
あっという間に世界的感染症として世界中で認知され、
今や「withコロナ」という今まで考えもしなかった生き方が、
当たり前になりました。

昔、音楽の世界で仕事をしていたころ、
担当していたアーティストさんが、
「異常が続くとそれが正常になる」
と話していたことがありますが、まさに今、コロナと共に生きることが、
世の中のスタンダードになりつつあります。

なんて事は、ここで書かなくても周知の事実。
コロナで豊かになった人もいるかもしれないけれど、
大半の人が、コロナで生活が一変したんじゃないかと想像しています。

僕自身、今回のコロナ騒ぎで、職を失い、人生の大きな岐路に立たされ、
一番長く続けてきた飲食業の世界に、ある種の見切りをつけ、
今まったく別の挑戦をしている最中。
3年前まで、約6年間営んだ小さなBARの清算を、
職を失ったことでようやく終わらせることにして、
現在自己破産の審議中。
コロナで廃業したわけではないけれど、
廃業の決断と、清算の決断は、過去に済ませた経験がある、という段階です。

このタイミングで、今窮地に立たされている飲食店の廃業について、
自身の経験を踏まえて、今一度考えてみることにしました。
特段、役に立つかどうかわかりませんが、実体験を書き残しておきます。

2011年。
満を持して?自分の店を出しました。従業員1名。
いわゆるcafe&barという、なんでもアリの飲食店。
世田谷の住宅街でひっそりと。
飲食の経験値はそもそも高くはなく、
cafeでのバイト数ヵ月、BARの店長3年で独立しました。
とにかく店を出したい想い一心で、自己資金100万円で始めたのが、
廃業に至る最も大きな要因でした。

開業して2年も満たないころに従業員がいなくなり、
その後は業態変更してBARとして一人で営業し、
だいぶコンセプチュアルな事をやりました。
お陰でコアなお客さんがつき、ギリギリのラインで営業を続けましたが、
家族が増えたことで、365連勤の生活の非現実性を感じ、
更に現実的な生活資金の事を考え、無理な事業を畳む決意をし、
借入金を抱えたまま、店と、途中で立ち上げた会社を廃業しました。
思えば最初の段階から、あまりにも資金繰りに関して無頓着だったなと思います。
ようは、想いは強かったけど、ビジネス視点が欠けていた。
事業をやってたときは、無我夢中で気付かなかったけど、
辞めてみて、冷静に分析したり、友人の意見に耳を傾けてみたりして、
自分の悪かったところと、しっかり向き合うことが出来たのです。

廃業からの3年間は、異常なまでに狂った時間を過ごしました。
具体的に書くと長くなるので端折りますが、安定とはほど遠い日々。
とにかく大変だったのが、毎月の返済が月125000円あったこと。
家族の生活のために、額面30万以上の仕事を探しては、
ブラック企業に引っかかり、転職を繰り返し、
私生活もゴタゴタして、この3年は家族で3回引っ越しました。
引越し代だけでも大きな出費。貯蓄を切り崩す生活は今でも続いてます。

そんな3年間を経て、今、来年に向けて新たな挑戦を始めており、
新しい町で、新しい仕事をしながら、虎視眈々と2021年に向かっているところではありますが、
ここまで前向きな気持ちに戻れるまでに、3年かかったのは、
やはり廃業のショックと、尻拭いが相当大変だったからだと思います。

コロナショックが始まってから、
飲食店、特に夜の営業を中心にしている店は、世間の標的にされました。
飲食店に行くことは悪、くらいの勢いで、とにかくメディアで騒がれ続け、
保障なき自粛生活を要求されたことにより、
売り上げは激減し、たとえ借入が出来たとしても、
その返済が始まったら、それまで以上に売り上げを上げ続けないといけない状況になり、まだその現実は少し先で、明るい未来予想図が描けない事も容易に想像がつきます。

元々飲食店は、3年続けば良い方と言われ、
例えコロナが来なくても、店の継続は非常に難しい世界。
その世界に現れた招かれざるウィルス。
僕が店をやっていたころの何倍も大変な時代。
そんな時代に、個人店が生き残るためには?
と、各メディアが様々な情報を流していますが、
廃業をしている立場の人間から見ると、
まだ余裕があるならば、資金のあるうちに戦略的撤退をするのも、
1つの選択肢なんじゃないかと思っています。

店を畳みたくない。
それは畳んだ人間も同じでした。
でも想いだけではやれない事がある。
僕の場合の廃業理由は経営難と無知・無謀でしたが、
今回は「コロナ」という未曽有の絶対的要因がある。
無理して傷口を広げる前に、余力を残して次に賭けるのも、
経営者として考えても良い事の1つかなと。

個人事業の廃業は比較的簡単です。店も保健所に廃業届出したり、
そこまで細かい事はなかったかなと思います。
物件は居ぬきで売り、そのお金で借入金を1口返しました。
債権者に条件変更のお願いに回ったり、
金融機関とのやりとりの数は多かったかなと思います。
大変だったのは会社の廃業手続き。とにかく提出書類は多くて、
都度細かいお金がかかりました。
事業は始めるのは前向きで熱い想いがあるから簡単に感じるけど、
辞めるときはネガティブ要素が多くて苦しかったのを覚えています。

あれから3年。死に物狂いで稼いでみたけど、貯金なんて1円も出来ず、
家族には相当迷惑をかけました。今もだけど。
ご縁あって、今回の給付金が入ったことも手伝って、
コロナ失業をキッカケに、知人のツテを頼りに、自己破産専門の弁護士さんに相談して、やっと過去の清算が出来ました。
債権者の皆様には申し訳ないとは思いますが、
残りの人生を逆算で考え抜いた末、返済の継続は不可能だったし、
周りからは「自己破産なんて」といわれることも多かったけど、
実際その立場に立ってみると、周りの意見よりも、家族の意見を尊重すべきで、
部外者よりも、当事者の考えで選択をしていくのが人生だと、
破産法の内容を、弁護士さんに聴いて、弁護士視点の意見も参考にしたうえで、気づかされる現実がありました。

借入金の返済はなくなりました。
でも十分な収入があるわけではなく、コロナで就活は難航。
お金を稼ぐということが、どれだけ難しいかを痛感しつつ、
そんな事で落ち込んでる場合じゃないというのも、
いろいろやってきた今だからこそ思える。

もし今店をやってたら、たぶん無理やりでも続けてたと思います。
自分の性格上、家族の反対を押し切ってでもやるタイプ。
そして待っているのは、残り少ない人生の時間と、
マイナスの資産状況、増えすぎた借入金返済額、ギスギスした家族との関係。
こんなはずじゃなかったと、そこからリスタートを図ろうとする自分。
想像すると、メンタルどうこうじゃなく、とにかく【時間】が足りません。

人生100年。働けるのは60歳までと考えてみると、
38歳の僕は、あと22年しかない。
もちろん健康ならその先もあるけど、そんな保障はどこにもない。
自分と家族の未来を想像して、実際にかかりそうな費用も計算しつくして、
出来る限り逆算で物事を考えるように脳をシフトして、
(もっと器用に考えられる人間だったらなぁ)とか思わないで、
今ある状況と環境をとにかく大事にして、未来と向き合う。
過去は、もう戻ってこないけど、未来はまだ訪れてさえいない。
だったら未来をどう切り開くかに集中してみる。

そう思えるようになったのは、家族のお陰でした。

今、多くの個人店の方は、脳みそフル回転で毎日を過ごしていると思います。
だからこそ、一番身近な人の重要性を、忘れがちになる可能性がある。
店を続けようが畳もうが、それはその人の人生だし、
お客さんに迷惑どうこうってのは、あとからどうにかなること。
大事なのは、店を始めた自分自身と、それを支えてくれる人の人生だと、
僕自身は思います。辞めて3年経ってみて、ようやくだけど。

ぶっちゃけ辞めるのしんどいです。
出来ることなら続けてたかったです。
だから、続けられるなら、一生続けてほしい。
でも今無理なら、来年でも再来年でも、未来はある。
コロナという災害は、誰のせいでもなく、今巻き起こってる現実。
その現実と向き合って、今、前向きに苦しんでる人が、
明るい未来に進むことを、勝手ながら祈っています。

僕も僕で、来年から始まる新事業に向けてがんばります。
必ず明るい未来が待ってると、信じています。
まずは、健康第一で!!

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