無題

電波の海を浮遊するくらげみたい。
考えて、眠って、起きたら願ったり、祈っている。
津波みたいに突然に速度をあげ、遂にここまで漂着した誰かの悲しみ。
やるせない年明けに気のぬけたバドワイザーを飲み込むのは、ほとんど惰性。
確率は偏る。平たくいうなら悪いことは重なる。サイコロを振って、なぜか同じ目が二度、三度出てしまうことに驚いた経験を思い出せるみたいに、そういった稀有なことは案外起こり得る。
しかし、ここでただ祈ることしかできない。
しか、ないけど、祈り続けたい。
祈りだけで人は腹を満たせない。自分も相手も。
それでも祈りをやめないことが、行動につながる。言葉を組んで、発して、伝わって、動いて、誰かの腹を満たすことに結果としてなるかもしれない。
神頼みとは違う。この祈りは、単に苦しむ誰かにいち早く幸せな表情をしてほしいというだけの感情だ。この記事も別に読まれたいんでもない。
自分は強烈に祈り続けたい。祈り続けたい。
良くなってほしい。それ以外はわからないから。
まずは、それ以外の正解はないと言い切れることだけが、自分が理解している正しさ。
つらいだろう、本当に悲しくてやりきれないだろう。ここでがんばりたい人よ、どうかがんばってほしい、心からあなたの幸福を祈っているよ。


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