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守るものができるということは、こういうことなのだと学んだ

猫を飼うために引っ越したわけだけど、そんなかんじで初めて夏を迎える。

覚悟はしていたが、やっぱり夏になるとヤツは出るのだ。

G。

(この時点で「名前を見るのもイヤなアレの話だコレ」と察した方は、その通りなので引き返してください)


始まりは1週間前、月曜日のことだった。

どうか「虫苦手アピのぶりっこ乙」と思わないでほしい。

「虫くらいで…」という気持ちは私にもあるし、写真や動画で見るのは平気だし、不衛生ではあるが毒や牙を持っているわけではないのも分かっているし、知れば知るほど面白い生き物だと理解している。

けれども、謎の生理的嫌悪は理屈を打ち負かす。「なにかの拍子で肌に触れたらトラウマになる。無理」なのだ。

私の場合は「触れるのが無理」なので、同じ空間にいることはまあ耐えられる。だから、とにかく隠匿してくれれば、お互い幸せでいられただろうにと思う。

ちなみに、「覚悟はしていた」というのは、猫の心配をしすぎて虫の忌避剤になるものを使わず、ゴキブリキャップくらいしかそれっぽい対策をしていなかったからだ。

と言っても、私はタニサケのゴキブリキャップに絶大な信頼を寄せている。

前の住まいでは、不衛生な草むらがそばにある一階部屋でありながら、それを置いたことによって生きているヤツとも死んでいるヤツともほぼ出会わなくなった。あれには本当に感動した。

デザインも白色の小ぶりで威圧感がないし、ニオイもしないので良い。(なんだこの記事ステマか?)

だから正直なところ、新居でもゴキブリキャップさえあればわりとどうにかなるんじゃないか、なんて気持ちもあった。猫を迎えたことで以前より掃除もマメになったし…。

甘かった。

しかも、新居で初めて見たゴキブリは、今まで見たことがないほどブラックでストロングだった。

ここ1週間、毎晩のようにブラックでストロングな同個体を見ているわけだが、毎回遠巻きにじっと見てしまう。絶対5cmくらいある。惚れ惚れするデカさだ。カッケエ(※私はゴキブリが苦手です)

しかもしかも、そいつは図々しかった。仕事から帰った私を必ず猫よりも先に出迎えるし、スマホのライト(懐中電灯機能)や物音で威嚇しても隠れようとしない。ちょっと羽を開いて警戒してくるだけだ。

※輝之助というのは、毎日見るGがどうやら同じ個体だと気付いたため敬意を払ってつけた名前です。フォロワーに案をもらって頭空っぽで決めた名前であり、実在する人物やキャラクターとは関係ありません。

只者じゃないよ輝之助は。

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で、この記事を書いたのは「怯えて頭まで布団を被って寝るからいつか熱中症になりそう」とか、「トイレや風呂場までの道のりが毎回ホラー映画さながら」とか、「ヤツがテリトリーと決めたのがキッチンだったため、料理ができず家で飲み食いができないでいる」とか「だから今もすごく腹ペコ」とか、「朝日のありがたみがダンチ(※段違い)」とか、「これからもっと暖かくなったとき一体どうなってしまうのか不安」とか、そういう話ではなく、

私は人生で蚊より大きな生き物を直接的に殺したことがまだないという話をするためだ。

ゴキブリキャップやアースノーマットのような対虫トラップを設置したことはあるが、直接ふりかけるような殺虫剤を使ったり、武器で叩き潰したことはない。

一度、ひっくり返って死にかけているGを楽にするべく洗剤をかけたことがあるが、なぜか死んでもらえず無駄に苦しめる結果となってしまった(友人が隣の県から駆けつけてキッチンペーパーで介錯ののちに回収してくれた)

エアコンから突如吐き出されたカメムシにパニックになった夜もあったが、プラスチック容器と紙とガムテープでどうにか捕獲し、穴(出口)を開けてゴミ捨て場に置いて逃げた。

狩猟や釣りもしないので、記憶にある限り動物や魚を自らの手でしめたこともない。

親が自殺未遂をしたときに事件性アリの容疑者扱いをされて「(血塗れ包丁の)隣に立って指で指し示しつつカメラ目線ください」と現場写真を撮られたこともあったが、おおむねコロシをしたことがないカラダなのである。(蚊をノーカンにするのは許してほしい)

「命に優しい人アピール」ではない。「実害がない以上は手を出さない主義」というだけだ。

面倒くさがりなのである。「自分が不快だからという理由だけで一度でも憎んだり殺したら、以降も憎み殺し続けなきゃならなくなって、その度に時間や労力を消費するって面倒じゃない? 無視ほど楽なものないよ虫だけに」っていう。

だから今まで、恐ろしかろうが「なんらかの一匹」を努めて殺そうと思ったことはなかった。

苦手なものが現れたときは、ツイートなどでギャーギャー騒ぐなどして「やりすごす」スタンスでやってきた。

(無視が究極と自分で言っておきながらギャーギャー騒いでしまうのは未熟さ故である。ただ無視するだけでは感情が落ち着かないのでコンテンツ化することでバランスをとろうとしてしまう)


ここでやっと記事のオチの話になってくるわけだけれど、

そんな私が明日、Gを殺す。

1週間を共に過ごし、カッケエと多少は楽しませてくれた輝之助は、私の手で死ぬのだ。

きっかけは、間違えて駆除剤を買ってしまったこと。

(欲しかったのは、空間にスプレーしたり設置することでGが外に逃げていって、もう寄り付かなくなるようなもの。猫がいても大丈夫で、すぐ手に入るものが良かった)

間違えてしまったことに気付いた直後は、もったいないが使わずにほかっておこうかなと思っていた。

しかし、輝之助は皆勤賞で私の前へ現れるし、キッチンの固定湧きネームドでいるうちは良いが、「もし寝室(メイン部屋)に移動してきたら?」と考えたときに気持ちが変わった。

今はもう、「私がやりすごせばいいだけ」ではないのだ。

私の寝室は猫の部屋でもある。ここに輝之助が長居すると、ろくなことにならないのは想像にたやすい。

食いちぎられて無残な姿になった輝之助が枕元に置かれ、寝返りを打ったら頬にkiss...なんてことは相当な悪夢だし絶対に嫌だが、それ以上に、輝之助を食べたことで猫が腹を壊したり調子を崩すことが不安だった。

「ペットを飼うことは人生の手間を増やすことだ」と避けていたくせに、今となっては「猫サイコーーーーー🥰🥰🥰🥰🥰🥰🥰🥰🥰」となっている私が、もし猫になにかあったらとても正気でいられない気がする。それがめちゃくちゃに怖い。

……「猫の身になにか起きるのが怖い」というか、「それによって自分の調子がおかしくなって人生崩壊するのが怖い」というニュアンスなのは、私という人間が愚かだからだ。このへんは文章の書き方でいくらでも聞こえよくできるだろうけど、「猫想いのすてきな飼い主さん✨」像が一人歩きしそうなの最近の重荷だから、ここはあけっぴろげでいく。

どうあれ、この心境の変化に私は地味に驚いたのだ。この人生のコストを限りなく抑えていこうとするセルフネグレクト女が、腰を上げてわざわざ金にもならないコロシをしようというのである。

そうして思ったのがタイトルであり、私に守りたいものができたのだという実感だった。

「猫の存在、私の中でデケ〜!」と感動するチャンスはもっと他にあっただろうに、先陣を切ったのが輝之助だとは。

只者じゃないよ輝之助は。

明日お前は死ぬのだ。