【案】「選ぶ」ということ
まえがき
「こんな考えどうでしょう?」的な話を、【案】として書いてみます。当たり前なこと言ってたらすみません。
「選ぶ」ということ
どんなことでも「Yes」と言って、イエスマンでいると幸せになれる、そう信じて生きてきたのですが、最近違うのかなって思い始めました。
そう思ったきっかけは、仕事がつらくなったことです。
何かを頼まれて「あ、やりますよ」とか、こうしておいたほうがいいなあと思って「やったほうがいいですよね?」とか、そういうことをしてしまうタイプの私。
結果、仕事量に負けて体がガタガタいいはじめました。
(今、こういうタイプは損する人間だとやっと気づいたのですが……。)
プライベートでも、「〇〇行こうよ!」と誘われると、すぐ行っちゃう。誘ってもらえたことがうれしい、こんな私を誘ってくれるなんて心から感謝、っていう気持ちもあって、とにかくイエスで行ってしまう。
でも本当は、病み上がりだったり、すごく見たいテレビがあったり。
あと一歩が踏み出せなくて、もう一押しがほしいっていうとき、どうしても後ろ向きになってしまう人には、イエスマンでいると幸せになれる、っていい考えだと思うんです。
でも、一方でイエスマンは、選ぶことをサボらせて、極端なところまで行くとその人らしさをなくしてしまうのではないかと。
共感してくれる人がもしいたら、一緒にほどよくノーマンになってみませんか?
(結局、なんでもやりすぎはよくないってことですね。ほどよくが、肝心!)
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