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僕らは、まだコロナがいつか収束すると思っている。

どうも。元芸人のユースワーカー今井です。

二度目の緊急事態宣言の延長が決まりました。
新型コロナウイルス感染症の蔓延を、僕らはいつか終わると思っていました。
いや、今もそんな期待をしています。
中国で初めて発見されたのは2019年12月
WHOが正式名称「COVID-19(coronavirus disease 2019)」と定めたのは2020年2月

もう、1年が経ってしまいました。

コロナを言い訳にする時代が終わった。

去年の3月に、日本でも休校やリモートが言い渡され、4月に初の緊急事態宣言が出され、あの頃から1年間ずっと、僕たちはコロナがいつか収束すると思っている。

オンラインやリモート、マスク、ソーシャルディスタンスが当たり前になってきている今の世の中で、僕らの口癖は、
「落ち着いたら会おう」
「落ち着いたら○○行こう」
「落ち着いたら飲み会しよう」

落ち着いたらって使って1年が経って、僕らに何が残ったんだろう?

afterコロナという言葉が流行って、withコロナが使われるようになった。

感染症対策といいつつ、周りの目を気にしてマスクをして距離を取り大人数で遊ばず、社会からの見られ方を気にして時短営業をして検温をして消毒をして。
どれも意味がないとは言わない。
意味がないのは、僕らが本気で感染症を収束させる気がないことだろう。

書いている僕も、もちろんその1員で、周りの目を気にしてマスクをして、遊び方も考えて、仕事にも行っている。

いつコロナに感染してもおかしくない。

でも、僕らはコロナに感染しないと思っている。

自分だけは大丈夫。

あらゆる災害で耳にする言葉。
でも、この考えがないと僕らは生活ができない。

交通事故に遭ってしまうかも。
通りすがりの人に刺されるかも。
地震が発生するかも。

そんなことばかり考えていたら、核シェルターに一生いる生活しかできない。

僕が思うのは、それでいい。
でも、最大の注意と対策をしようということ。
それが、防災であり防犯であると思う。
でも、防災だからといって、家から出ないなんてことはしないし、防犯だからといって防弾チョッキを着て生活はしない。

僕らは、何かしらの脅威と向かう時、自分の譲れる部分を譲り、譲れない部分は譲らない生き方で繁栄してきた。

大災害も、戦争も、感染症も、これらの脅威と立ち向かう時には、何かを諦め、何かを大切にしてきた。

この新型コロナウイルス感染症に向かう僕らはどうだろうか。
何も捨てずに何も譲れないと抱え込んでいないんじゃないだろうか。
いつか収束する、いつかおさまる、落ち着いたら、
そんな言葉で自分を騙していないだろうか?

友達と遊ぶこと
リアルで会うこと
社会からの見られ方
会社や家のルール
政府の発表する対策

あなたは、何を譲り受け入れ、何を譲らず受け入れないで生きるのか?


コロナは収束しない。
この1年でそんな簡単なものじゃないと分かった。

あなたは、何を諦め、何を諦めませんか?


P.S.
僕は、マスクとか検温とか消毒っていう、今の社会の最低限のマナー化しているものは、もう諦めています。
でも、その範囲内でやりたいことをやるのは譲れない。
だから僕は、仕事に行くし遊ぶし色んな活動も続ける。
二度とコロナを言い訳にしない。
そんな時代が来てしまったんだし。

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