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そこに自分の座る場所があってほしい話

 この前、用事があって出かけたついでに本をテーマにした場づくりみたいなところをいくつか見てきました。その時に色々と感じたことをちょっとメモ代わりに書いてみます。(長くなりそうなので何個かに分けて)

 きっかけはだいかい文庫の守本さんから聞いた「入ってきてくれる方が少ない」という話。
 たしかに、おやまちでお店番をしてても他の場を見てても「ここはなんだろ?」と覗く人はいてもそのまま中に入る人は少なかったり、入ることはあってもすぐに「失礼しました〜」って出ていっちゃう人がいたりしました。

 そんな話がずっと喉に引っかかってたので、その後に色々な場をそういった視点で見てみた上で、仮説レベルですが色々考えてみました。

 なんで本屋は入れるのに、いわゆる地域の居場所には入りづらいのかと思った時に浮かんだのは場違いという感覚です。つまり、場にふさわしくないと感じるような感覚。よそ者感と呼んでも良いかもしれません。

 例えば、すでにグループができてしまっている教室に一人で入るとき。自分自身をダサいと思っている人がおしゃれなカフェに入るとき。全然知らない人の話ばかりが繰り広げられているトークに入るとき。内側と外側に張られた結界を越えるような努力を要することがあるような気がします。
 同じように、初めての人が地域の居場所に入る時にも場違い感を乗り越えて入っていく必要があるのではないでしょうか。

 本屋さんや喫茶店の場合を考えると、新しく入る人との関係性は「お客とお店」です。常連さんになってくるとまた別の要素も出てくるかもしれませんが、基本根底にあるのはこの関係なんじゃないかと思います。
 お客さんは気になるお店があれば、入って中をうろつき、時には商品を買ったりします。これは端から見ていても特段不思議には感じません。でもそれが知らない人の家になるとどうでしょうか。
 気になった知らない人の家に入り、中をうろつき、時には何かを買おうとする。……多分、通報されます。そもそも、知らない人の家に入る時に購買者として入ることもほとんどないし、知らない人の家なんて自分が入る場所じゃないと感じるのではないでしょうか。

 それなら、地域の居場所と初めての人はどんな関係になるんでしょうか。
 まずは、外から見える看板や中の様子を見てみて「なんか喫茶店?本屋さん?」みたいに思うかもしれません。入ってみて、軽く説明を聞いて「結局よく分からないけれど、そういう場所」と思う頃には、馴染みのない/自分と関係ない/場違いな場所として処理され、話もそこそこに退場してしまうような気がします。自分の役割(お客さんやスタッフなど)を見つけられず、所在ないまま、宙ぶらりんのまま苦しくなって出ていってしまう。

 もちろん、本当に興味がある人やその説明に馴染みがある人はガツガツ行けたり、多少の分からなさは自身で乗り越えていくだろうし、子どものように「こういうもの」という枠が曖昧な場合は場所のそのままを受け入れられるかもしれません。
 ただ、ちょっと気になって入ってみた人はもしかしたら、そこに自分の座る椅子はないなと思って出ていってしまうのかなと思いました。

 気になるのはきっと、どうやってその椅子を用意するのか、でしょうか。
 場に溶け込むのは容易なことではありません。媒介する友人や共通のテーマがあった上で、その雰囲気やあり方に何度も触れることで、その場所に馴染んでいくような気がします。引っ越した家が徐々に自分の家と感じるようになる感覚に似ているかも。
 とはいえ、最初はそこで時間を過ごすことが重要な気がします。
 とりあえず、ウェルカムドリンクとか出してゆっくりしてもらうのもいいかも。その間に、その場で起きることを見て聞いて、感覚が染みていくかもしれません。

 とまあ、そんな感じの話をいくつかに分けて書く予定です。
 

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