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共同生活と自立

少し思うことを書き出そうと思い、かなり久しぶりにiPadでキーボード入力。

スマホでの入力とは全然違い、長文になりそうなので、そこには注意をしたいと思います。

精神のグループホームの新規開設から…間に地域活動支援センターの勤務がちょこちょこと入りますが、法人内ですが2箇所のGHを経験しました。

その中で、2つのGHの特徴が全く違う中で、「共同生活」に利用者の方が何を求めているのか。職員側は何を業務としているのか。そんなことを考えることが多かったです。

共同生活とは言えども、「自分の生活を一番大切にする」

しかし、近すぎる距離に他人である同じような障害を抱える人が何人も生活している。そんな中で「自分が安心して生活するために」ということを基盤として考える方は多いと思います。

その時に、自分の精神状態をかき乱すような方や危険を感じるような存在には何かしらの拒否反応が無意識…もしくは意識的に表出してきます。

2箇所のGHで感じた事は、

1つは「集団ではなく、個で考える」。

もうひとつは「集団の一部として、自分の存在を意識している」です。


この2つの葛藤で人間関係に苦しむ人も多いと思います。

自分自身の生活として、これからどうしたいかを考える。

だけど、集団の中で他の入居者からの影響を受けて、本当は自分がどうしたかったのかが分からなくなってしまう・・・。

サビ管もしていた中で、どうかなと思ってしまう部分もありますが、個人の意思・希望を集団の一部意見が邪魔してしまっている事もまた多かったように思います。その人にとって、本当は「こうしたい」という希望が明確である中で、仲間である友人という距離感にいる他の入居者の存在や意見が「本当にそれで良いの?」「私はまだここにいるんだよ。まだ一緒にいようよ」という言葉が霧を作ってしまっているような…そんな感覚を受けました。

自立=一人暮らしでは勿論ないと思います。

しかし、他人の意見に左右される前に大事な事は「自分はどうしたいのか」「何をしたいのか」であって、その時一緒に過ごしている人達が何を言おうと、その時にどんな存在であろうと・・大切にするべきものは何か?を常に問いかけてきました。それでも、今近くにいる存在を大切にした決断をする人もいます。

勿論、それが間違いであったり、正解だという事はないと思います。


ここから、まとめに入っていきたいと思いますが・・・

自分の決断・結論の良し悪しを他人に委ねない。

これが、一番大切だと思います。間違えたと思ったとしても、それも自分の選んだ道として、例え「今」その時が悪い方向に進んでしまっている・・・と見えたとしても、後々その体験が全てマイナスになるとは限りません。

共同生活の中で、集団としての所属感、安心感と、集団の一部になる事で個を見失う。そんなメリット・デメリットがあると思います。


この話を書こうと思った理由に、「安心・安全」のある場所。

場面緘黙の事と繋げて考えることがあった背景があります。


自宅・家族という存在が安全基地であった時、

果たしてその中だけで本当に自分の希望や目標が「その中」だけにあるのだろうか。

家族から離れた時、不安で安心感も何もなくなってしまうかもしれない・・・

だけど、緊張感や恐さ。不安等が強まりながらも、「本当は自分はこうしたかったんじゃないか」ということを考えたり、見つめ直すきっかけにもなるのではないか・・・そんなことを思いました。


安心・安全は「答えを他者に委ねる」ではありません。

「なりたい自分・こうなりたい未来」を一緒に語り、確認して形にしていくことだと思います。

本当の安心・安全は「自分の出した答えに自信を持てること・安心して語れること」なのではないかと思います。

勿論、答えがひとつではありません。助言として「今はやめとこう」という意見もあるかもしれません。それも含めて、自分自身を受け入れてくれる人がいることが大切なのではないかな・・・そんなことを考えました。


最後に、グループホームの話に戻します。

職員も他の入居者も・・・冷たいかもしれませんが、あくまでも他人です。

一時的に側にいて頼りになる存在だとしても、人生の中のほんの一瞬です。

グループホームの存在意義。そして職員の存在価値。近くにいる入居者の存在。

出逢いや縁は大切ですが・・・それ以上に大切なものがあると思います。

今現在進行形で、向き合うべきものを見誤らないように・・・

気をつけていきたいと改めて思います。

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