テッカマンブレード 雑感

『テッカマンブレード』というアニメを職場の人から勧められ、49話あるにも関わらずイッキ見してしまった。敵の持っている力で戦い、裏切り者と言われながら人類のため戦う孤独な戦士、という基本ラインが完全に仮面ライダーなので、ハマらないわけがない。

テッカマンブレードは92年放送。森川智之、林原めぐみ、子安武人など錚々たる声優陣が出演している。タツノコプロといえば、個人的にはやっぱりガッチャマンの思い入れが強い。肝心のテッカマンは未視聴である。

仮面ライダー要素で言えば、ブレードが戦い続けると身体が崩壊して死ぬのはカイザっぽいし、記憶がなくなるのはゼロノスっぽい。ソルテッカマンは設定的にも強さ的にもG3感がある。どれもテッカマンブレードより後だけど。戦力的に基本ブレードなしでは厳しく、彼が頑張らないと終わるので、追い詰められた緊張感が痺れる。やっぱり孤独な戦士はすばらしい。

しかし、あまりに救いがないというか。家族を敵に回すとかまあ悲劇としてわかるんだけど、せめてDボゥイとアキはもうちょっと強い絆みたいなのがあれば救いだったんじゃないか。最後主人公が記憶を何もかも失い、ラダムとの怒りと憎しみだけを持って戦う時。アキは止めようとするんだけど、その声は全く届かず。Dボゥイもタカヤも死んだ!!っていう名言はそれはそれでいいけど、これではアキはいたたまれない。恋人という関係性をあれだけ持ち出して、アキのこと忘れたくないって言ったのに、結局制止になってなくて、アキは無力さばかりを感じるのが、なんだかもやもやした。

その点20話は感動した。エヴァのシンジくんばりに出撃を拒否して、暴走を恐れて動けなくなるDボゥイに対して、アキが必死に励まし続けるシーンはぐっとくる。お互いが初めて人と人としてぶつかって心を通わせたわけだから、その後の恋人展開にも無理がない。

だからせめて、アキがもっとDボゥイに憎しみ以外の強い感情を抱かせる、例えばるろうに剣心の薫の「東京へ帰ろうね」みたいな、わずかにでも繋ぎ止める存在になって、「必ず帰ってきて」みたいなことを言い、最後Dボゥイが爆発でふっ飛ばされながらも地球へ帰ろうとする、みたいなシーンがあったら、ベタだけどもっと涙腺は崩壊していたと思う。あとこれもベタだけど、アキがここぞというときに「タカヤ」呼びしてたら熱いなと期待したけどそんなことなかった。「Dボゥイ」は「デビット・ボウイ?」かと思って個人的にしっくりこなかったから…。

それと、戦う原動力が怒りと憎しみのみ、というのはやっぱり破滅的すぎて、仮面ライダーとは違っていわゆる「ヒーロー」ではなかった。石森ヒーローの見すぎ、期待のし過ぎなんだろうけど、守られる人類への目配り、人間の自由を守る視点はDボゥイにはない。キャラ造形として別におかしなことではないのだが…

しかしここで一つの疑問がわく。本当にラダムの侵略は人間にとって不幸なのか。確かにラダムによって死人は増えるし街は蹂躪されていった。ただ、ラダムはテッカマン育成のために人間を絶滅させるわけにはいかない。もしDボゥイと父の反抗がなく、そのまま侵略が完成していたら、ラダムに脳を乗っ取られるとはいえ、いちおう人間の記憶や感情を保ったまま(殺伐とした性格になるけど…)テッカマンとして存在できる人類が一定数残る。そうするとノーリスクで宇宙にいける体になるし、ある意味進化なんじゃないか――。そういう観点から行くと、ラダムに完全に支配された場合のシュミレーションが相羽一家まわりを見て想像するしかないので、地球にどんな不幸、不自由が起こり、何をもって止めなければならないか、理由をつけづらい。まあそれは続編とか設定とかにあるのかもしれないが…

【追記】
Ⅱまで見終わって、一通りネットの情報を見た。
上でDボゥイとアキの関係性云々言ってたけど、映像化されてない幻の二年後編のあらすじを見たら、、そこに愛はあった!!!

ここに書いてあった↓

Dボゥイの心にアキはちゃんといたんだ!よかった!!いや〜そんなことならちゃんと映像化してくれや。見たかったよ。

Ⅱのほうも、微妙かも的な前評判を聞きながら見たけど、わりと嫌いじゃない感じだったと思う。だいぶ希望のある終わり方だったし、どこまで行っても孤独な1期と打って変わって仲間の大切さを噛みしめる救いのある内容だった。惜しむらくは説明不足すぎてテンションがついていけないところ、関連してDボゥイとアキの関係がいつの間にか円熟の域に達してしまってかえって希薄に見えるところ、テッカマンへの差別とかプラハの黒い九月とか面白そうな設定の調理がなんかうまく行ってないところ、あたりだろうか。