学びと経済の格差

今まで知らなかったことを知る

これは何にせよ面白くて人生の価値になると私は信じている。仕事をしていてそれなりに違和感がないのは、たぶんこの学びに携われているからだと思う。

一方で、学びへの道はコストがかかる。義務教育のあとの高等教育、特に大学、大学院では、経済的に余裕がないので進学を諦めるという事象を聞いたことがあるし、実際に知っている。大学にいた頃から、私は格差を感じるようになった。自分も確かにそれなりに恵まれている方ではあったが、遥かに豊かさをもつ人々がおり、彼らはそれが当たり前だと考えているように見えた。不自由ない生活、幼少期からの恵まれた教育環境などなど。「あなたは貴族」という映画みたいなものは現実にあると思う(映画見てないけど)。

自分で言うのも何だが、それなりに高学歴とされているので、卒業すると多くは大手企業に就職し、高収入を得る人も多くいる。彼らは結婚し子供ができると、同じように子供に豊かな生活を与え…などと連鎖することで富を得る人は得て、ない人はますます困窮する格差社会ができる。努力して受験を頑張って高学歴になれば差を埋められるじゃん、的な幻想もあるが、そんな単純な話ではなく、なってみないとわからない違いが数多くあるものだ。付き合う人の幅や住んでいる場所で得られる情報は限られ、お金があるかないかで取れる選択肢も違う。要は何が言いたいかというと世の中平等なんてものはない。教育もまったく平等ではない。

でも私は学びの機会は平等にあるべきだと思っている。できれば、経済的理由で学ぶことを諦めることのない世の中になってほしい。学びは特権階級のものでなく、みんなのものであってほしい。

単純なことではない。情報の伝え方、受験にかかるコストなど、あげればきりがないほどに平等を阻害する要素はある。しがない自分には何もできないだろう。でも気持ちがもやもやして、書いてしまった。