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【ネタバレ感想】希望と絶望 その涙を誰も知らない

映画、観ました。
色々と答え合わせだったり、作り手(まとめ手?)側からしたら、こういうメッセージなのかな、とか、思ったことを書いていきます。
一度は観賞した前提で書いてくので、あんまり具体的な描写もないような、って思いますが、まあ、映画観てから読んでいただければ幸いです。

あの時の答え合わせ

自分が日向坂を応援し始めたのが、2020年10月なので、既にご時世が大変な状況になった後のタイミングでした。その中でも、配信ライブはそこそこの頻度であって、DASADAのA/W(DASADA朗読劇と一緒のやつ)や、その後もひなくり2020、そして、2021年3月には2回目のひな誕祭と、活動はありました。そして、噂のW-KEYAKI FES.2021のday2にてチケットが取れたため、初めての現地参加をして、日向坂のライブってこんなに楽しいんだ!となりました。噂のケヤフェスday2なんですけども。
その後も、チケット運に恵まれ、全国ツアーでは東京公演のday1のチケットを取る事が出来ました。

だからこそ。
こんなに楽しいライブを重ねている日向坂に見えていたのに、全国ツアーの千秋楽、くみてんの最後のMCで「みんなの気持ちがバラバラで、このツアーが出来るか心配だった」という旨の発言が、ずっとずっと、引っかかっていました。

言葉にしたタイミングでは、成功して良かった、という気持ちだったからこそ言葉にしたんだと思います。しかし、僕には、ずっと成功しているようにしか見えていなかったので、裏側で沢山苦労をしていて、しかしそれが見えないように、という努力もしていた、という事実がある事に大変な衝撃を受けました。

今回の映画のタイトルを見た時に、真っ先に脳裏をよぎったのはこの話で、だから『絶望』というタイトルを使った事自体は、自分の中では全然納得がいく部分でもあったので、ネガティブな意味合いを持たせたいというよりは、単純に形容するために使っただけだと思いました。
そして、そういう形容があったからこそ、舞台の裏側を観れるのであれば、もっとよく日向坂を知れるというところで、正直な話、逆に期待が上がったりもしていました。
いい年齢のおじさんなのでね。人に見せていい苦労、見せたくない苦労、っていうものは誰にでもあって。もちろん、推しが歩む道は常に幸せで、輝きに溢れていて欲しいものです。が、どうしようもない時というものはどうしようもないタイミングでやってきたりするので。その時に我々の声が少しでも、前に進む力になってくれたらいいな、という感じです。

そんなわけで、ずっと引っかかっていた言葉がどういう状況だったのかを確認したかったので鑑賞しまして。なるほどなぁ、という感じでした。
答え合わせが出来てスッキリです。これは多分、今後も油断したタイミングで起き得る問題でもあるだろうと思うので、勝って兜の緒を締めよではないですが、定期的に帯を締め直すくらいの緊張感を各自が持てるといいな、と思います。ふんわりですけども、期待も心配も、してもどうしようもないかな、って思うので、ふんわりくらいが丁度いいんじゃないかな、と思います。

絶望とは

これは完全に自分の主観がそういう方向に向いてしまったので、こういう結論になってしまうんですけれども、やはり『渡邉美穂の卒業』という部分に対しての言葉だったんだろうな、と感じました。

もうね、出演時間が多すぎる。
最初は、卒業が決まったからこそ多めに使ってるんじゃないかと思ってました。まあ、グループ初の、自分の意思で違う道を歩むきっかけを作った人物なので、そりゃ話の柱に組み込まれるのは当然なんですけれども。
それに、みほちー自身がたくさん考えるタイプなので、今グループはどうなっていて、だからこうしたい、こうしないといけない。そういう意見を述べるからこそ、まとめる際には組み込みやすいですよね。

それでも、作品としてはそういう風に見えるようにしているだけで、実際のところは、"気づけばいつも美穂がいる"っていう当たり前になった光景と、"渡邉美穂が周りに気を配る性格"という要素で分解して、その"光景"から"渡邉美穂"という存在を引き算したら、誰がどうやってその空いたところを埋めるんだ?という話になってくるんだろうと思います。

自分の中では、くみてんがみんなの気持ちを一つにまとめる器としての役割がしっかり出来る人なので、気配り自体が出来ない人ではない、と思ってました。しかし、くみてんの致命的な部分もしっかり浮き彫りにしていて「どうやって言葉をかけていいか分からない」っていう発言があるんですよね。
気づいてはいる、けど手を差し伸べる事が苦手、と。
もちろん、僕なんかの時にはガッツリとこさかなちゃんに寄り添うシーンもあるし、フォーメーション発表時、フォーメーションの立ち位置に入った後、自発的にこさかなちゃんの手を握りにいってます。
けれども、多分それは、沈む前だからこそ出来る行為で、もっともっと深いところに沈んでしまっていた時に何が出来るか、という部分には上手く動く自信がないんじゃないかと思います。
勝手な想像ですけれども、100点の対応をしてあげたい気持ちと、自分と人は違うっていう理性の壁が衝突しちゃって、足を踏み出せないんだろうと思います。

みほちーは逆に、私が行かなきゃ!って考えるのを後回しにして、まず隣に行って支える、っていう事が出来るタイプで。

そういうところで、これから誰かが倒れた時に、誰が背負えるんだろう?という部分が課題として発生してしまうことを、絶望と捉えたんじゃないかと感じました。

希望とは

絶望がソレであるなら、じゃあ、描きたかった希望ってなんだろう?というところも考えていかないとアンフェアなんですが、そこは多分、これからの未来を指しているんじゃないかと思います。

ツアーのところで気持ちがバラバラだったところも、最後には一丸となって成功したと言えるくらいに、良い公演が出来たと思ったように、みんな、ちゃんと考える事が出来て、成長する子たちなんです。向上心がある、とも言えます。

ケヤフェスday2でボロボロに言われて、悔しい!!ってなった後も、day3では更にパワーを発揮して、もっともっと素敵なパフォーマンスが出来たように。
ツアーのセトリが厳しい事を、ちゃんとパフォーマーとしてグループの意見をまとめて、スタッフさんに掛け合う事が出来たように。
(ツアーの掛け合い方が完全に社会人のリーダーのやり方のソレでビビった)

ただただおひさまに会って楽しい、だけで終わらない子たちで、もっともっと個人としてもグループとしても成長したい。もっともっと大きな夢を掲げて、叶えていきたい。『やりたい』と『やる』がセットになるように努力をする。そういう子たちの集まりだからこそ、きっと、みほちーが抜けた時の穴も、しっかりと塞いで、新しく入ってくる4期生を受け止めて、前に進んで行けるんじゃないかと思います。

加藤史帆

ドーム公演を終えて、度々、かとしがこさかなちゃんにべったりしてるなぁ、という印象でほっこりする事が多々あったんですけれども、その理由もこの映画で描かれていて良かったです。青春の馬のところでこさかなちゃんの手の匂いをかぐ姿が強烈過ぎて、単なる強火かと思っちゃってました。
こういうところも成長としての良い例なんじゃないかと思います。

余談:推しが可愛い

話変わりまして、どうしても言いたかった事。

おすしが本当に可愛すぎてキュンキュンした、というお話。

6thシングル『ってか』のフォーメーション発表のところ、もう本当に、何回見ても愛おしすぎる。
最後の2人に残ってる時、頭の中から「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ」「ウソでしょウソでしょウソでしょウソでしょウソでしょ」「どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう」っていう言葉がめちゃくちゃダダ漏れてる。可愛い。
先にかとしが呼ばれ瞬間「うわーーーー……(げっそり)」ってなってる。可愛い。

おひさま名乗ってからずっと最推しですけれども、本当に「自分だけですよ、そう思ってるのは」って感じで。意外と自分に自信がないところがね、おすしらしいなぁ、って思ってしまう。そういうところがまた可愛いんですけども。
最初は「出来ない」って思ってても、結局、出来るまで頑張れる子なので。僕らにはいっつも成功するビジョンを持たせてくれるし、実際は期待以上のパフォーマンスをする子なので。心配する要素が皆無なんですよ、ずっと推してる身からすると。実際、期待を裏切られるようなパフォーマンスなんかされた事ないですし。公演を重ねる度に研ぎ澄まされていく姿が大好きで、だから自分の最推しで居続けています。

その他、観てて思った事

出番の直前まで泣いたりする事もある、っていうのが凄く印象的でした。ドーム公演は特別も特別で、過去をまとめた激エモ演出だったのはあると思います。けれども、舞台に上がった時に、最初からみんなキラキラの笑顔だったので、全然そんな風に見えなくて。本当に、見せたくない部分をしっかりと見えないように出来るのが凄いな、と改めて感じました。

あと、ひよたん。ドーム公演の時の欠席になった際、現場で崩れ落ちるみほちーの動揺が凄かったけれども、多分それ以上に一番きつかったのはひよたんだろうな、って思ったけれども、マネージャーさんの一言がやっぱり案の定、って感じで胸に刺さりました。
けれども。day1のMCの時のきょんこのエピソードで「それ私の席ですね」って冗談を言っていて。本当に強くなったんだなぁ、と感慨深かったです。

ってかのMV撮影で、おすしが泣いてたのも印象的でした。出来上がったものが素晴らしかったのですが、これもやっぱり、裏側を完全に見せていないだけで、撮影当日ですら泣く事もある、という事に驚いてしまいました。

ダンスの練習もそうですね。こっちは泣くとは違いますけれども、あまりにもしんどくて、端っこで座ったり、倒れるように休んだり、場合によっては倒れて運ばれてたり。思ってる以上にアスリートなお仕事をしているんだな、と認識を改めざるをえなかったです。

配信ライブも『気力を吸い取られている感じがする』っていう感覚があるというのが意外でした。演出もふんだんに入れて、カメラに向かってみんな楽しそうにしている姿が印象的だっただけに、それでも、配信ライブに対する苦手意識が徐々に強まっていっていた、なんて想像も出来なかったです。

本当に、おひさまが居る、おひさまの存在を感じる、って大事なんですね。
映画を見て、もっと軽率にメッセージ送ろう、と思いました。
多分、些細な事でも、誰かが居てくれる実感って、とてもありがたいんだろうなと。それこそ、僕らがメッセージを取ってる時の、朝の「おはよう」、夜の「おやすみ」で、気持ちが少し柔らかくなるようなのと同じで。

最後に

こうして観た内容を振り返ってみると、本当に、たくさんたくさん、知らない事ばっかりだなぁ、と思いました。
でもそれは、キラキラした部分だけを届けてくれている、という事の証左でもありますよね。
改めて、みんなに感謝をしたいと思います。
ありがとう、渡邉美穂。
ありがとう、日向坂46。

2022年のツアーも楽しみにしています。
チケット当たりますように!
(特に、おすしの誕生日9月10日と自分の誕生日11月12日!!!!)


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