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ライラック杯審査員賞六句【白賞】

 やあ,みんな。ゴールデンウィークをどうお過ごし?審査員賞「白賞」では,今回もたくさん投句された俳句の中から,俺好みの六句を選ばせてもらったよ。

 今回のやり方は,「投句最終日まで待って,一気に全句並べて選評!」という,我ながら恐ろしいチャレンジ笑。
①みんみんちゃんが並べてくれた俳句一覧をグーグルスプレッドシートにコピペ
②一気に読みながら少しでも気持ちに引っかかった俳句にチェック
③②でチェック漏れした俳句がないか,もういちどチェックしなかった俳句の見直し(今回,これでいくつか見逃していた俳句を見つけた。見直し大事ね笑)
④②・③でチェックした俳句だけソートして,審査の視点を意識しつつ再チェック。
⑤決められた選数の俳句を選出。
まあ,こんな感じ。

 そうやって選ばれた,審査員賞六句。それでは早速,鑑賞していくとしよう。

春光のラストピースとしての僕

【季語】春光
 春光という季語は,読んで字のごとく,春の光のことを指すのかというと実はそれだけではない。この「光」という字は,「光景」とか「風光明媚」などというときの「光」で,景色のことを表す。だからもともとは,春の景色そのものを指す言葉なのだ。
 もちろん,春の日の光という意味としてもあつかわれることもあるが,「春日(はるひ)」という季語とはちょっと区別して,もっと「春!」ってのをイメージさせる季語だと思ってもらうといい。
 
 その上五「春光の」に続くのは、中七下五「ラストピースとしての僕」
 いやあ,何とも軽やかにアイデンティティが表現されていて,感服した。
 ラストピース,つまり,ジグソーパズルでいう最後の一片。それがあって初めて,完成たりえる大事な大事なひとかけら。それが「僕」である,と。もしかすると,「ラストピースとしての僕はまだ,春光に足りていないんだ」という,ネガティブな読みもできるかもしれないが,俺はここを前向きな意味にとらえた。このあたりが,「僕」という体言止めで終えたときの余韻の面白さだよね。
 やわらかくあたたかな光が降り注ぎ,万物が命の輝きをもって世界に彩りを与えるこの春の紛れもない一部であり,「春」を完成させる大切な最後の一片として,「僕」はここに「在る」んだ。
 自分という存在へのゆるぎない確信。そんな思いの込められた一句と鑑賞した。
 それにしても,表記のバランスもいいよな。春光と僕という漢字で,ラストピースというカタカナ表記を挟んでいるわけだが,そのことで表記に軽やかさが出ているよね。春光のイメージに合っていると思う。

 さて,作者はというと…おお,うつスピちゃんの一句だったか。
 これはさすがだなあ。うつスピちゃんだとすると,もっと深いしかけがたくさんあるのかもしれないと勘ぐってしまうな笑
 この句には,「春」がぎゅっとつまっていた。素敵な一句をありがとう!
 

木蓮の花や胎児のふくらみぬ

【季語】木蓮
 
作者は…ん?これは,うつスピちゃん,じゃないよな。えーと,理菜ちゃんか。noteをやっていない,うつスピちゃんの俳句仲間の方の代行で投句したってことか。なるほど,「みんなの俳句大会」はとうとうnoteというプラットフォームをこえて,投句されるようになってきたのか。すげえな。

 さて,季語は木蓮。俺は白のイメージをもっていたけれど,あれは白木蓮というみたいで,分類学上は紫木蓮(シモクレン)を木蓮っていうのね。
 ちょっと大ぶりの花で,樹木だから目線が高いせいか,車で向かう通勤路でもよく目に入る。ふっくら,まるまるとしていて,中に親指姫でもいそうな佇まいの花だよね。
 この句では,「木蓮の花や」と,中七の途中の切れ字「や」で切れを作っている。中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」も,この形。
だから「木蓮の花や」「胎児のふくらみぬ」というまとまりで読むことになるのだが,この取り合わせ,とても素敵だよね。

 胎児のふくらみぬという表現からは,誰かのお腹がふくらんでいるなあ,という他人事としての目線というよりは,「私のお腹の中で小さなわが子が大きくなっているなあ」という実感が感じられるし,物理的なそれだけではなく心理的な存在感のふくらみも感じさせる。そう考えると,作中主体はお腹に赤ちゃんを宿している状況にあるのだろう。きっと,日に日に大きくなってゆく自分のお腹に赤子の生命を感じているに違いない。
 愛おしそうに自分のお腹に手を当てている女性が,ふと視線を上げると,そこには木蓮の花がふっくらとした花をつけている。その木蓮の,明るい生命の形に,またお腹の子のことを思うのだ。
 季語の斡旋がお見事な一句だった。素敵な句をありがとう!

肩落とす青年の影いぬふぐり

【季語】いぬふぐり
 この句は,下五に季語「いぬふぐり」を持ってきた。作者はジーボーゾちゃ…あれ,さてはまた改名したんだな笑
 なるほど,さすがの取り合わせと思ったが,ジーボーゾちゃんなら納得。

 先に季語からいこう。季語「いぬふぐり」だが,これは植物の名前。多分,よく見かけるのはオオイヌノフグリという,イヌノフグリより大きなタイプの方で,青紫色の花をつける。イヌノフグリの方は,オオイヌノフグリに負けちゃって,石垣とかそんなところに細々と生えているみたいだけど,最近ほとんど見られないらしい。調べた画像を見た感じでは,ちょっとオオイヌノフグリより,淡い色なのかな。
 ちなみに,イヌノフグリとは犬のき〇たまのこと。細かい毛の生えた実が二つ連なったような形でなるんだが,それが犬のそれに見えるということで,名付けられたらしいよ。

 さて,この句は,上五中七「肩落とす青年の影」と下五の季語「いぬふぐり」に分けられそう。上五「肩落とす」とは,がっかりしていたり,意気消沈していたりする様子のこと。肩を落としているのが誰なんだろうと読み進めると,「青年」である。でも,作者が見ているのはその青年自体ではなく,青年の影であるから,視線が自然と地面へ下りていく。すると,そこに季語であるいぬふぐりがあるのだ。脳内にあるイメージが自然と季語へと誘導され,そこにイヌノフグリの小さな花をイメージするとき,それが,肩を落とす青年とオーバーラップされて映るのである。なんとも,巧みなつくりの一句ではないか。

 青年には,どのような「肩を落とす」出来事があったのだろうか。何も明確に書かれていないが,イヌノフグリの可憐な花を思い浮かべると,きっと青年は肩を落とすような出来事から,気持ちを切り替え前を向ける日が来るのだろうと信じられる気がする。
素敵な一句をありがとう!

殺し屋のコスプレのまま抱く子猫

【季語】子猫
 俳句の世界では,子猫は春の季語である。別に子猫がいるのは春だけじゃないじゃん,と言われればそれまでだが,例えば,沙々杯のときだったか,冬の大会のときに「かまどねこ物音ごとに耳立つる」という句を詠んだ。このときの「かまどねこ」というのは,寒さを逃れて熱の残っているかまどに入り込んでいる猫を指す。このように,実は「猫」はその生き方(?)が,多くの季語に採用されている動物なのだ。
 春にはどんな,猫にまつわる季語があるかというと,例えば「猫の恋」というのがある。春は特に多くの動物たちにとっても繁殖期であるが,猫もまた,春にその時期を迎える。そのときの恋する様子が「猫の恋」という季語としてとらえられているのだ。
 そして,その恋の結果が「孕猫(はらみねこ)」という季語であり「子猫」という季語につながっていくわけだ。ちなみに細かく分けると,「猫の恋」は初春の,「子猫」は晩春の季語となる。

 さて,「殺し屋」という物騒な言葉で始まるこの句は,俳句という短詩型文学の面白みが詰まっている句だね。まず,上五「殺し屋の」というフレーズ。とてもインパクトがあって,強く惹きつけられるフレーズだ。「え?俳句に殺し屋が登場するの?」なんて意外性もある。
 そして,それを受ける中七「コスプレのまま」。「なんだ,ほんとの殺し屋じゃなくてコスプレかい!」と思わず突っ込みたくなる。そして,殺し屋のコスプレ…スパイファミリーのヨルかな,まさか,ゴルゴではあるまい…と,知らず妄想を始めてしまう(俺だけ?笑)。
 そこに下五「抱く子猫」という季語を含むフレーズ。子猫を抱いているというだけで、なんか,優しそうな子だな,とか,きっとかわいがっているんだろうなとか,その人の性格までもがくっきりと浮かんでくるよね。
 さらに、句を最後まで読み通すと,今度は「殺し屋」というフレーズと「子猫を抱く姿」の対比が,ぐっと効いてくる。「命を奪うもの」(コスプレだけど)が「命の塊」を抱いているという構図、緊張から弛緩、そんな感じ。
 作者は…これもうつスピちゃん仲間のシャビちゃん。なるほど、さすが。勉強になるわ。素晴らしい句をありがとう。

風光るメコン川行く象の群

【季語】風光る
この句は白賞の常連、ちえちゃんだったか笑。またも選んでしまった。ちえちゃんって、句がワールドワイドだよね。
季語は「風光る」。俳句の季語の中でも、人気が高い(俺調べ)季語の一つで、まさにみんなの春のイメージを言葉にしたような季語だよね。
 詳しく言うと,風光るは「天文」の季語。春の日差しが強まっていくと,吹く風もなんだかキラキラ輝いて感じられる。風光るというのは,そんな様子を表した季語だ。
 そんな季語を上五に置いているので,この句を詠み始めると,すぐに光り輝く日差しとさわやかな風のイメージが訪れる。そこに続くのが,中七下五「メコン川行く象の群」だ。
 メコン川というのは,タイとかラオスとかの東南アジアあたりを流れる大きな河だよね。あのあたりの命を支える,堂々たる大自然だ。そして,そこを行く象。メコン川流域に生息しているということは,アジアゾウだな。アフリカゾウに比べるとちょっと小柄だって聞くけれど,それでもやっぱり象だけに大きいんだろうな。
 そうそう,象は動物園でも人気の動物の一種で,俺たちにもなじみが深い動物だが,実は絶滅の危機に瀕している。アジアゾウの場合は,住んでいる自然環境が大規模な森林破壊のために失われているのが一番大きな理由らしい。結果として人里近くに現れれば,農作物を食べちゃうから害獣として殺されたりもするらしいね。まあ,平たく言えば俺たちのせいで絶滅危惧種になっているのである。
 そんな象がメコン川を群れで悠々と歩いていく。多分,ときにはメコン川に入って水浴びなどもするのだろう。その姿を作者は「風光る」という季語で支えている。そこには,象の置かれている状況に対する悲哀を知りつつも,群れなしてゆく象に対するあたたかな作者の視線を感じさせるのだ。
 メコン川と象という大きな自然とゆったりとした時の流れを内包した,おおらかな一句だった。素敵な俳句をありがとう。

年下の上司の赴任リラ香る

【季語】リラ(ライラック)
 さて、最後はこの句。俺の中では,ちょっとここまでの五句とはちがった気持ちで,最後のこの句を選んでみた。
 今回の「みんなの俳句大会」のホストriraちゃんの名前であるリラ,そして今大会の冠名である「ライラック」は知っての通り同じ植物であり,春の季語でもある。だから,今大会では多くの方がリラを俳句に読み込まれていた。(実は俺もライラック杯にリラ三句を投句した笑)
 俳句では,このように相手の名前や,相手に関することをそれとわかるように詠みこむことがある。それは,俳句が挨拶的な意味をもっているからだ。どうしても,俳句というと芸術的なもの,難しいものというように敷居の高いイメージがあるが,実際は「おはよう」と挨拶するように,気軽に思いを伝えられるものでもあるのだ。
 そこで,リラを詠んだ22句の挨拶句(俺調べ)の中から,一つこの句を選んだのである。

 さて,この句の作者はめかぶちゃん。はじめましてかもなー。素晴らしい句をありがとう。
 この句は「年下の上司の赴任」という上五中七と「リラ香る」という季語を含む下五から構成された取り合わせの句なのだが,上五中七が秀逸。
 年下の上司の赴任ってのはなかなかいろんな想像が膨らむよね。
 下五の「リラ香る」は,その上司のつけている香水の香りなのかもしれないし,もしかすると,上司が赴任した日の帰り道で香ってきたライラックの花の香りなのかもしれない。どちらにせよ,そのリラの香りが上司を思い起こさせるのだとしたら,上司は女性なのかなと想像。リラの香りの優しさ,甘さがそう思わせるのかもしれない。
 通常異動の際に,わざわざ年齢を公表したりはしないだろうから,上司が年下だと明らかにわかるということは,新卒だったりするのかな。新卒で上司ということは,上司と作中主体とは,正社員と契約社員とかパートのような立場の違いがあるのかもしれない。
 とうとう,自分よりも年下の子が上司になっちゃうのかという複雑な感慨はわかる気もするな。俺も,自分の教え子たちの親が,自分より年下になったときに多様な気持ちになった笑
 別の想像では,初恋,恋の芽生えっていうリラの花言葉(紫色のライラックらしいが)から,自分より年下の上司を,恋の相手として狙っちゃうぞとも読めそうな気もするが,まあ俺の中では,前者のほうで読みとった。真実はめかぶちゃんのみが知っている。
 ともかく,上五中七のフレーズで,詳しいことは述べずとも勝手に脳内でストーリーが進行していくというのは,言葉の切り取りが上手な証拠。
真似をしたい一句でした。ありがとう。
 

終わりに

 ふう,何とか今回も審査員という任を全うすることができただろうか。俺の鑑賞を見てもらえばわかるように,すてきな俳句というのは(もしかすると俳句に限らず作品というのは)作者の手を離れると,どこまでも想像の翼を広げさせてくれるものである。
 そういった意味で,この「みんなの俳句大会」のスピンオフで行われる様々な企画というのは,正しく俳句を楽しんでいる素晴らしい企画の数々だよね。わずか17音の短い詩が,詩を生み,物語を生み,音楽を生む。映像にだってなる。そんな素敵な大会に今回もこのような形で関わることができたのはとてもうれしい。
 この大会を支えたホストのriraちゃんをはじめ,クルー,スタッフのみんな,そしてそれぞれに楽しんで大会を盛り上げたすべてのみんなに感謝したい。

長々と最後まで読んでくれてありがとね。白でした!


お読みくださりありがとうございます。拙いながら一生懸命書きます! サポートの輪がつながっていくように、私も誰かのサポートのために使わせていただきます!