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三半規管激弱人間

物心がついた時から三半規管が弱かった。
どこかに車で移動するときは必ず車酔いしていたし、小学校の遠足のバス移動には酔い止めと複数枚のビニール袋を持っていった。それでも途中で具合が悪くなったこともある。バスに乗るときは毎回前の列の窓際の席を早めに陣取った。車内のおやつタイムに充満する食べ物の匂いが辛かった。遠足に対する楽しみよりも、吐き気が来ないかどうかが心配で、毎回純粋に遠足を楽しめなかった。どちらかというと、遠足は苦痛の行事だ。

遊園地の乗り物も苦手だ。高いところは怖くない、むしろジェットコースターのような乗り物は好きなのだが、楽しいと思った数秒後に目眩と吐き気がやってくる。以前、酔い止めを飲んで友人と遊園地に行ったら、途中で具合が悪くなり、トイレにこもって友人に迷惑をかけた経験がある。遊園地に友達同士で行くことを楽しみにしていたから、自分が迷惑をかけた申し訳なさで、しばらくずっと暗い気持ちを引きずってしまった。

大人になってからも、高速バスは怖くてなかなか乗る気がしないし、新幹線のチケット代の高さに毎回溜息が出てしまう。

よく親からは「車酔いは大人になると治るよ」と言われていた。しかしもうとっくの昔に成人した今でも、他人が運転する車に乗るとほぼ毎回車酔いする。自分で車を運転する時は酔わないので、できる限り私に運転させて欲しいと言うものの、いつもしろまつちゃんばかり運転しているから代わりに運転するよ、なんて言われる。違うんだよ、車酔いするんだよ、と説明したところで、なかなか相手には理解してもらえないことが多い。

歳を重ねると、車酔い以外の原因でも三半規管が弱いせいで、目眩と吐き気がやって来ることがあった。それは例えば中学の頃の授業中とか、高校で受験勉強をしている時とか、社会人になって家に帰ってきた直後とか。数時間前はなんともなかったのに、急に視界がぐるぐる周り、気がつくとトイレから出られなくなっている。疲れているから横になりたいのに、横になった途端に視界が回り出して、またトイレで吐く、の繰り返し。学生の頃は体質だからとあまり気にしていなかったが、社会人になると休む理由を会社に伝えなければいけなくなり、近所の内科に行ったら耳鼻科を紹介された。

耳鼻科では音が聞こえるかどうかやふらつきの検査を行い、ストレスが原因だと診断された。検査代と薬代を合わせて一万円以上かかった。働き始めたばかりの自分には痛い出費だった。医者からはとにかく休んでほしいと言われ、仕方がなくしばらくの間仕事を休むことになった。休んでいる間ほとんど物を食べられず、急に10キロも痩せてしまった。そして体調が元通りになると数ヶ月でまた元に戻った。

医者からストレスの原因を聞かれたものの、正直自分でもよく分からない。あるっちゃあるし、ないっちゃない。いい歳してきちんとお金が稼げず未だに実家から出られなくて悩んでいる。しかしそれは自分が就活で上手くいかなかったからで、もっと遡れば希望の大学に入れなかったせいなので自分が悪い。会社で理不尽な扱いを受けていたことでいらいらしていたが、それも普通の人なら気にしないようなことなので、いちいち気にしすぎる自分が悪い。思うように人と付き合いができないことも悩んでいたが、それも他者との距離感の取り方が下手だったり、自分の恋愛対象や性的嗜好がはっきりしていない自分に原因がある。本音で話せる友達がいないのも自分の性格のせい。親と気が合わなくて居心地が悪いのも、親に感謝の気持ちが足りない自分のせい。そう考えて、結局のところそれらをストレスの原因というのは、自分が原因の悪いことを別の何かのせいにして誤魔化しているのでは、と一瞬のうちに考えて、「分からないですね」と答えた。この時もらった薬は水色のパックに入った液体状のもので、全然美味しくない。粉薬より飲みにくくて、私は未だに苦手なままだ。

昔は大人になったら自然と図太くなるものだと思っていた。しかし今、年を取ったらあらゆる刺激に対して敏感になってしまった。それを「老化」という言葉で括っていいのかは分からない。物騒な事件のニュースを見たり聞いたりすると具合が悪くなるし、低気圧の日は朝起きられなくて一日ずっと気持ちが悪い。自分が対象になっていなくても、身近の人が大声で怒鳴られているとびくびくしてしまう。そのことを人に話すと「自分の身に起こったことじゃないのに」と言われた。確かにそうだ。自分は損な体質をしている。結局、酔い止めを常に持ち歩き、睡眠をきちんと取ることしか、今のところ防ぐ方法はないのだ。