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肯定は否定よりずっと強い


肯定は否定よりずっと強い

と私は思う。

 最近、学校のいじめが過去最多になったという記事を目に止めました。

 でも親から否定されても、学校や社会から否定されても、それよりもっと強い力で自分は肯定されているんだよ。
 だから今ここに存在出来ているんだ。
 
 
 私は生まれた時から否定されて生きてきた。
 物心着いた頃から、枕元で叔父の借金の話しを枕元でされ、
「離婚した父に似て太っていて愚鈍」だと母に言われ、学校でも友達が少なく、社会に出ても、気の強い同性の標的にされてしまう。
 本当にどんくさいたちなので、仕事でやり返すことも出来なかった。
 母は私に祖母に似て怒りっぽいともいった。
 兄も私がいるとイラついていたし、妹は母に愛されたいがために、私をずっと攻撃してきて、兄弟の中でも居場所がなかった。私の勉強机は帰るとなくなってて、妹のモノになってたりした。
 まあ私が勉強しなかったんだけどね。
 働いてない叔父たちに似て社会で働けないとも。
 母の文句を言うときりがない。
 父も同じだった。たまに会うと「母に似て性格がきつい」と私にいった。
 
 
 いじめられている時は、他の子に持ち上げてもらっても、自分なんかが、一歩前に出るなんて、申し訳ない気がした。でもそれでどんなに他人をがっかりさせていたか今になって良くわかる。
 自分がうじうじしてる間に、声をかけてくれた子もイラつかせてしまって、やっぱ自分なんてダメなんだと、自分で自分を否定し始めたんだ。


 
 それでなんとなく周りが近づきたくない空気を作って周りを不愉快にしていたんだ。
 『本当はこんなところにいたくないのに、どうして自分はこんなところにいなきゃいけないの?と、心の中で自分以外の全部を責めている。』
 
 その責めや否定の周波数が伝わっているから、向こうからも帰ってくるんだ。

 自分を肯定出来ないまま、ニートとフリーターを繰り返して、とうとうアトピーが風が当たっても痛いくらいになって、ニートになって35歳になった。

私はずっとこんな太ってて、どんなに脱毛しても毛が濃くて、アトピーで、無職で、仕事が出来なくて、家事も出来ない私を、ずっと自分で否定していた。
 家族のことも、お金をもらっても、お米をもらっても「こんなひどいことされたんだから、これくらいしてもらって当たり前」ってどこかで開き直ってた。
 離れれば良いのに、今までの過去を親や社会のせいにして、同じところから出られないかった。
 けど、それよりももっと強い力で肯定されていたんだと最近気が付いた。


 私には本当になんにもない。
 30代まで辛い思いして自分で治療費払ってアトピーと付き合ってきたのに、「その年で免許も、結婚もしてないの」って言う人も普通にいるし、講座にいっても腹立つことされるし、将来に希望を見いだせないのは良くわかる。
 今の社会は私が小学校の頃よりさらに酷い。

 でもどんなに否定が降り続けても、先が見えなくても35歳までは生きてみて欲しい。
 少しだけ自分の中の否定を無視する練習をして欲しい。

 なんにもない私がわりと気楽にこんな身内話を公共の電波で流してるんだから、これを読んでいるあなたの人生はもっと楽になるよ。


 去年秋に叔父がなくなって、その叔父のもと奥さんから酷いこと聞いたり、でもその人のずるさに気が付いたり、瞑想して宇宙のソースと繋がろうとしたら死に直結する場所にあたあがいって、頭が真っ暗になって思考が働かなくなって、恐いとかじゃなくてシンプルに終わりが見えたりして、いろいろあったけど、まだ人生続いてるから。
思うだけじゃ人生は終わらないみたい。

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