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コーヒーなのに味噌ですか?

健司けんじさんそれ好きですね。」
 缶に口を付ける健司の横で、実哉子みやこが電子ICを自販機にかざした。
「俺自分じゃ味噌汁作らないんだよ。」
 健司の手にしてるのはお味噌汁の缶だった。
「缶のお味噌汁何て美味しいですか?」
「そんな事言ったら缶コーヒーのコーヒーなんてコーヒーじゃ無いだろ。」
 健司は実哉子の手にしたものを見やる。
「メーカーのボスに謝って下さい。私は朝ここでコーヒーの種類を選ぶのが細やかな楽しみなんです。」
「ごめんごめん俺、実家が喫茶店やってるからさぁ。コーヒーは、豆にお湯を注ぐ具合が味噌だと思うんだよ。」
「コーヒーなのに、味噌ですか?」
「あはは変か?」
「ふふ…私も実家が味噌蔵なので、缶のお味噌汁何てちょっとって想っちゃうんですよね。」
「マジか!凄いじゃん!じゃあ、今度俺に実哉子ん家の味噌でみそ汁作ってくれよ。」
 実哉子は、コーヒー缶片手に暫し天井を見上げ考えると、定期入れをまた自販機にかざした。
「はい。」
 実哉子は手にしたみそ汁の缶を健司に差し出す。
「え?」
「この缶のお味噌汁のお味噌はうちの実家の物なんです。」
「ええ?マジで凄いな!」
 実哉子は心底驚いている健司を見て、満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、何でさっきディスったんだよ。」
「私が誉めたら手前味噌ですし、缶だと味が落ちるんで私はあんま好きになれないんです。」
「まぁ、そこは比べちゃうと…。」
「まぁ、自販機で販売するようになって、大手に味噌蔵を譲らずにすみましたけど。」
「ああ、大手に入れば収入は安定するけど、それだと個人経営の味が失われてしまうんだよな。」
 缶を片手に、遠くを見る健司。
 まだ他に出社しておらず、社内の廊下も静かだ。
「今度私に、健司さんの入れたコーヒーを飲ませてくれますか?」
 伏せ目がちに自分を見上げる同僚に健司は作り笑顔のまま、数秒押し黙った。
 健司が仕事以外で実哉子に頼まれごとをされたのは初めてだ。
「…いいぞ。俺の為に毎日みそ汁を入れてくれるなら。」
 健司は冗談ぽく歯を出して笑う。
「見返りが大きすぎる気がしますが、私の為にコーヒーを毎日入れてくれるなら考えます。」
 普段と変わらない笑顔の実哉子。
 実哉子はどんな意味不明な上司の指示にも、恐喝的なクレーマーにも笑顔で対応する『鉄の微笑みの女』。この程度の押しでは表情を崩しはしない。
 健司は踵を返し彼女に背を向けると、自分のデスクの前に足早に戻り、一人ガッツポーズを取って跳びはねた。

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