【贈与論レポート】ばあちゃんは何故おこづかいをくれるとき、「アイスでも買いな」と言うのか?

【まえがき】

・プロ奢さんのオンラインサロンで贈与論がアツい

・レポート書いてみようぜ

※原典は読んでいません。
ゆーさんとプロ奢さんのnoteを主に参考にさせて頂きました。

【事例①】

・ばあちゃんっておこづかいくれるときに、「これでアイスでも買いな〜」ってよく言わない?

・なんで「アイス」なん?

【仮説①】
お金を、「サーティワンがタダで食べられるクーポン」化している

・商品券とか図書カードとかも、それ自体には価値がない点は現金と似ているのに、よく贈り物として使われてる

・ゆーさんのnoteより


そしてストーリーを与えてあげれば,お金はあらゆる場面で贈与が可能なこと,についてお話ししてみました。

・贈与者から使い道を提示することで、ストーリーを与えている?

【仮説②】贈り物の価値を下げている

・「これでNintendo Switchでも買いな〜」とか「ディズニーランドでも行ってきな〜」だったら受け取りにくい?

・またまたゆーさんのnoteより


我々が彼に奢るとき,奢っているものは「余剰」となり,それゆえに互酬性が働きにくいという仮説を立てた。

〜中略〜

なんとなれば,送られている「内容」は余剰であり,価値のないものだからだ。

・贈り物の価値が高いと、ハウ(お返ししなきゃ感)の力が強く受け取ってもらいにくいため、「お金」から、身近で安価なイメージの「アイス」へ変換した?

【事例②】

会社に、チロルチョコの包装紙を集めるのが趣味であるAさんという方がいる。
みんなそれを知っていて、頼まれてもないのに「近所のコンビニに新作出てたよ!」と情報提供したり、出張先でご当地チロルチョコを探して買ってきたりする。

贈与論の観点から見て、なにが起きているのか?


・「ぶっちゃけチロルチョコの包装紙ってゴミじゃね?別にいらないからあげるよ。」

・Aさん、チロルチョコをもらう

「包装紙がもらえればいいので、みんなで食べてください!」
(Aさん自身も食べるけど独占しない)

・生贄の再分配に近い(=ハウの弱体化?)

・好きなものを周りに発信していくと贈与を受けやすい?

【事例③】

・高校時代、陽キャグループの人たちがお互いをディスり合う光景をよく目にした。
(「バカじゃないの?」「おまえ本当にブスだな!」など)

・「冷たくされるのが好き!Sっぽい人が好き!」という友人

・どちらの事例も、普通言われたらイヤなこと(マイナス贈与)なのになぜ?

【仮説】

・伊坂幸太郎の小説「鴨とアヒルのコインロッカー」の中にこんなセリフがある

 
「さん、はいらない。河崎」
「呼び捨てにすると親しく聞こえるだろ」
「このアパートには前から外人が住んでるけど、丁寧語でしゃべるからちっとも親しくなれない」

・失礼な振る舞いの方が仲良くなれる場合がある?

・「ウチら、こんなこと言った程度で壊れる関係じゃないよね」という信頼の裏返し?
→関係性の確かめ合い。贈与というより儀礼みが強い?

・現代版クラ交易?(ちょっと違うか…)

【考察・まとめ】

■贈り物の価値・効果的な贈与について

・効果的な贈与 = 贈り手と受け手の双方がwin-winになるものとします

・贈り手にとって価値が低く、受け手にとって価値が高い贈り物をすると良い

・しかし、価値が高いものは受け取ってもらいにくく、贈与が成立しにくい

・贈与成立までは価値が低く(見え)、成立後に価値が高くなるもの

・「勇者よ、この剣を授けよう」「アザッス(なんやこのボロい剣…)」
 ↓
「その剣は…!初代勇者様が魔王を倒すのに使った伝説の剣ではありませんか!」「マ?!」

■好きなものを発信していくとおトクな贈与を受けやすい

・贈り物をするからには喜んでほしい
 →ので、相手の好きなものを贈る
 →好みが分からないと無難なものを贈りがち
 →わざとでなくても、嫌いなものを贈られてしまう可能性も…

・贈り主のセンサーに引っ掛かるようになる
 「あ、〇〇さんが好きな☓☓だ。買っていってあげようかなあ」

・どんどん自己開示してこう!

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