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PARCO PRODUCE 2024『オーランド』

「お前は僕で、僕はお前だ」

の木という永遠不滅の背骨を軸に、オーランドを取り巻く環境は様々に変化する。原作の地の文をほとんどオーランドの独白として、一人称小説のようなセリフづくりであった。長大なセリフを謳い上げた宮沢りえには感服する。
オーランドは刻一刻と変化する。人間として、男として、女として。しかしその人物は400年近く「オーランド」である。「オーランド」の変数が性別であるとして、何が定数なのか。なにがオーランドを「オーランド」たらしめているのか。
ロスの神妙な雰囲気は圧巻。舞台上を歩いて歩いて、物語を前に進める。発話者が散発的に変化することによる立体的な音響効果。時にデジタルな拡声を用い、大きくて、破壊的で、痛々しい叫びが客席に届く。まっすぐで、小さくて、意志のある地声とのコントラストが際立つ。
台は白地に椅子が4つ並べられてだけという非常に簡素のもの。その舞台に照明や映像を投影することで場面転換をおこなう。光は道に、太陽に、部屋に、さらにオーランドが抱く女性にも変化し、舞台上を彩る。特に、鏡のシーンは印象的であった。オーランドが女性になって初めて鏡に自分の姿を見る瞬間。ただの四角い枠と照明で表現された鏡を挟んだ2人の役者により演じられる、「投影する自己」と「投影される自己」が交錯するその様は、「お前は僕で、僕はお前だ」というセリフそのものであった。「心」と「体」の性が異なる存在となったオーランドは、自分というものに対して問いが生まれてくる。「体を介さない、心と心の愛はあるのか」。
台奥の壁に映される空の映像。その雲の間を貫く一筋の線が、作品冒頭から少しずつ伸びていく。その正体は、原作にはないまさに「衝撃」のクライマックスになって初めて明かされる。長大な時間軸を貫いて舞台上に「衝撃」を与える「一筋の線」。そしてそこから立ち上がり、ゆっくりと歩き出すオーランド。そのシルエットは、若々しくみずみずしい冒頭のそれとは異なり、「成熟した女性」としてのオーランドとなって、舞台奥へと消えていく。

このノートは、週末に舞台にいくことが生きがいの社会人1年目男子による、感じたこと、思ったことをあまり調理せずに綴った、「素材のママの思考録」である。

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