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改めて、noteを大事にしたい。

今年はちゃんとnoteを使っていきたいと思いつつ、時間を作れずに(作らずに)もう1月も下旬です。

年始から、何かを口にしたい時には、Xよりもインスタに載せてみることにしています。
文字コミュニケーションより写真の方が体温が伝わりますね。
人の体温も感じるし。
気が楽です。

さて昨日、仕事のリサーチで高校生のスピーチコンテストの記事を読む機会があり。
noteってスピーチに似てるなと思ったので、そういう話を。

ここ最近の風潮として、パッと思ったことをちょっと書くのにえらく気を遣いますよね。いや、私が、遣ってるだけか?
まず名を名乗れ、って目に見えないツッコミを、なんとなく感じちゃうんですよね。
私もツッコんでるんだろうと思うしね。

自分の属性や人柄を露わにし、大衆の感情への目配せをしつつ言葉にしないと、曲解されやすい、燃えやすい。
なんだろうなぁ。体感でここ3年くらいそうですね。
気軽にいいねも付けられない時代です。

Xの文字数でこれをやるのってとても無理で、だからこそもっとnoteを大事にしなきゃなと近頃思っています。

それで、昨日スピーチについて考えている時にふと思って。
noteで何か一つのトピックについて書く時って、ほとんど構成を、スピーチのように組み立ててるよな、と。

ある程度の長さの文章を書いて、自分の意見を述べてみたい時って、やっぱそれなりの時間と技術を使いますよね。

掴みはまず共感からですね。
これから書きたい自分の意見とそれが違っていたとしても、まずは世間への目配せから始めるのが作法だと思う。

そこから、自分の人柄を感じさせるようなエピソード。
なぜ自分がこれを語りたいのかを理解してもらった上で、自分の意見を述べる時間にようやく入ることができる。

そして、具体的なエピソード。
自分がこれを語り得る正当性、納得度をしっかり固めつつ、最後にもう一度自分の意見。
他の人も考えやすいように、決めつけでなく結論に余白を作っておくことも大事。

大変面倒なのだけど、ここまでやらないと人に自分の意見を伝えることなんて結構難しいよなと、スピーチコンテストの記事を読みながら考えてしまいました。

ああ、だからXに難しさを最近は感じるんだよな、とも妙に納得しちゃって。
あのコミュニケーションツールで、何か意見を主張するのってすごく高度ですよね。
ちょっとした目配せ程度の挨拶だったり、へーという相槌だったり、それこそ小鳥のさえずりのような態度がぴったりなツールなんじゃないかな、そもそも。

学生時代にスピーチ書いたことのある人は、その辺のリテラシーが育って案外その先役立ちそうだな、とも思いました。

なんていう、今朝のほんのメモ書きです。


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