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【創作小説】『ペッパーミル・ザ・サブリナヘヴン』本文サンプル【BL】


<基本情報>

馴れ合ったら、終わり。

二人で一人の〈ペッパーミル〉を繋ぐ鎖は、愛か憎悪か…。
素直になれない年下×溺れたくない年上。特殊な能力の代償に、性欲を抑えられなくなる二人の葛藤。受け優位も攻め優位もあり。R18。
『ペッパーミル・ザ・キャンディハウス』と同設定の物語です。

2024/9/28発行・小説・B6・30ページ
書籍:400円
PDF:320円

『ペッパーミル・ザ・サブリナヘヴン』

 ◆

 つい数分前まで空が青かったのに、急な豪雨でフロントガラスが真っ白になった。
 振れるワイパーを眺めながら、幌を掛けておいて正解だったと思う。暑さも過ぎてドライブに相応しい季節になったというのに、不安定な天候のせいでなかなか幌を外せない。
 そして仕事中でもなくてよかった。わたしたちの現場は屋内ということはほとんどないから、少なくとも雨風や雪はないほうがいい。
 信号待ちをしていると、雨が引いてきた。せわしない雨雲が通り過ぎていくあいだに、空は青から橙に変わりつつある。灰色の雲の手前にうっすら虹が出ていた。
 国道沿いのシャッター通り、閉店したスナックに挟まれた事務所の前に、車を乗り入れる。
 頭に帽子を乗せて、ドアを開けてからふと気づいた。忘れるところだった、と車内に置いてあったジッポライターをポケットに突っ込んで外へ出る。助手席に乗った人間の忘れ物だ。
 古いガラス扉に書かれた「サブリナヘヴン」という文字は、かなり剥がれていて読めるかどうかといったところだが、ここを知る者しか訪れないため、問題はない。
 扉を開けると、眼鏡をかけた中年の男性がデスクから顔を上げた。
「こんにちは、ガレット」
 帽子を取って挨拶すると、ガレットは僅かに目を細めてペンを置く。
「いらっしゃい、マドレーヌ。雨には当たりませんでしたか」
 低く穏やかな声と皺を刻んだ顔は、自然と敬意を示したくなる貫禄を備えている。
「来る途中に少し。今はもうやんでいますよ」
「それはよかった」
 彼は立ち上がって大儀そうに首を鳴らし、事務所の奥へ向かった。わたしも来客用のソファーに腰を下ろす。古くて狭い事務所の備品というには立派な、わたしならベッドにできそうな大きさだ。
「紅茶でよろしいですか」
「ありがとうございます。ミルクティーで」
 ガレットが茶葉で淹れる紅茶は美味しい。ミルクティーは濃いめに淹れてくれるのも嬉しい。
「ブラウニーのやつ、出る前に電話したら寝てました。もうちょっとかかるかも」
「かまいませんよ、待機ですから」
 湯気が立ったティーポットとカップのセットがやってくる。小柄ながら背筋が伸びたガレットの佇まいも相まって、英国の香りすら漂う。
 事務所内はアンティークな家具で揃えられていて、古びた机の上には黒電話。ここでゆったりと紅茶を味わうたび、扉の外とは違う時間・違う場所に来てしまった感覚になるのだった。
 過剰な笑顔も余計な世間話もない。四十路も終えようかというその男に、親しみやすさを感じる者は少ないだろう。だが、同じ空間で沈黙を共有するには悪くない相手だった。
 外からバイクの排気音が聞こえた。
 来たな、と二人で顔を見合わせる。なにかに躓いたのかちょっとした悪態が聞こえ、それから扉が乱暴に開いた。
 不機嫌そうな長身の男が、のっそりと入ってくる。わたしの相棒・ブラウニーだ。
 彼は後ろ手にドアの鍵を閉め、ライダースジャケットを脱いだ。右腕と胸元に皮膚の引き攣れた痕があるが、それが瑕疵に見えないほど頑健な体つきで、本人も気に病んでいる様子はない。
「……おはよぉ」
 夕暮れ時の挨拶ではない。
「おはようございます、ブラウニー」
「おぅ」
 ガレットの皮肉交じりの挨拶にぞんざいな返しをしながら、相棒はわたしの向かいにどかっと座る。煙草の箱を出しながら。
「ライターある? どっかいっちまって……」
「これか?」
 ポケットから彼のライターを出してみせた。遠吠えする山犬の姿が刻印されたオイルライター。
「お、さすがマドレーヌ……」
「ここは禁煙だ」
 遠慮なくさらおうとする手からライターを引っ込め、またポケットにしまった。ここで渡すとすぐ吸いはじめるに決まっている。
「なんだよ、だりぃな……」
「吸うなら表でどうぞ」
 ガレットの低い声には有無を言わせぬ強制力がある。彼もわたしも嫌煙家という点では一致していて、いかにヘビースモーカーといえど多数決では敵わない。
 とくに飲み物の注文を聞かれなかったブラウニーの前には、コーヒーが出てきた。こいつに紅茶の繊細な味などわからないから、正しい判断だ。
「いつまで待つかわかんねえんだからよ」
 コーヒーをすすって「熱ぃ」とぼやき、彼はソファーにもたれかかった。
「今日も空振りだといいのですが」
 シフト中はすぐに出動できるように待機してはいるが、何事もなければそれでいい。消防士と同じ、火事はないほうが平和に決まっている。
「ま、空振りならメシ食って帰るだけだ。出たら起こしてくれ……」
 ソファーに長い手足を悠然と伸ばし、ブラウニーは目を閉じる。自宅でも事務所でも助手席でもすぐに眠れる彼の特技は、起きている時の騒々しさを思うと非常にありがたい。
「お茶のおかわりは言ってください」
「いつもありがとうございます」
 ガレットはデスクに戻り、わたしはポットから紅茶を注ぐ。これを飲んだら、昨日読んでいた論文の続きに取りかかろう。
 窓の外は、空も雲もオレンジに染まっている。もうすっかり晴れたらしい。明日は幌なしでドライブできるだろうか……。
 机上の黒電話が僅かに音を立てた。ブラウニーの寝息が止まる。
 直後、けたたましい呼び鈴が室内に鳴り響き、ガレットが受話器を取った。
「こちら、〈サブリナヘヴン〉です」
 黒電話は本部からの直通。めったなことではかかってこない。つまり……。
 わたしは入り口近くのクローゼットから、装備のコートとグローブを取り出した。ガレットの手入れはいつも完璧だ。
 固唾をのんで通話が終わるのを待つ。受話器を置いたガレットは、わたしたちを見やって重々しく告げた。
「出動要請、〈シマトウ〉クラスとのことです」
「!」
 日が沈むと視界が悪くなる。被害が出る前に対処しなければ。
「今、住所を送りました。被害は未確認とのことですが」
 わたしたちの携帯端末が震えた。古き良き骨董品の世界から、一気に現実へと引き戻される。
「〈シマトウ〉か……手こずりそうだな」
 カップの中に呟きを落としたブラウニーは、その独り言とともに残りのコーヒーを飲み干した。それからすぐにソファーから立ち上がって、ガレットを睨みつける。
「おい、さっさとよこせ」
 ガレットのほうはため息交じりに彼へと歩み寄った。
「主体はぼくにあるのですよ」
 いちいちガレットに噛みつかなければ気が済まないのだろうが、時と場合を考えてほしい。
 先に外へ出ようかと言いかけたわたしにかまわず、ブラウニーはガレットの腕を掴んで引き寄せる。とっさに顔を背けたが、窓ガラスに映った二人を見てしまった。
 背の高いブラウニーが、小柄なガレットの顔を仰向かせて唇を重ねているのを。
 幸いブラウニーの蓬髪に隠れて二人の表情は見えない。わたしは帽子を深くかぶりなおし、素知らぬ顔で戸口へ向かう。
 それが「力の暫時委譲」の手続きであることを三人とも理解しているし、少なくとも相棒は、わたしのことなど今さら気にしない。
 ガレットはよろめき、ソファーに崩れるように座り込んだ。
 彼の中にある力は今、すべてブラウニーの肉体に移された。普通の人間と同じ状態になっただけともいえるが、あるべきものが急になくなると、気力や体力にも影響が出るらしい。
「寝室へお連れしましょうか」
 念のため声をかけたが、ガレットは力なく首を振る。
「ぼくは平気です……早く現場へ」
 そして彼は眼鏡を押し上げ、自分を見下ろすブラウニーに視線を投げた。
「すぐ帰るんですよ」
「どうかな」
 万年反抗期の相棒を急かして外へ出る。鍵をかけるのは忘れない。今のガレットはあまりにも無防備だから。
 2シーターの助手席にブラウニーが乗り込み、わたしの愛車は現場へ向かって走り出した。

 夕日が沈む間際、赤黒い空を背景に浮き上がる〈チリペッパー〉を見やったブラウニーは、苛立った声で吠えた。
「おい、ぜんぜん小せえじゃねえか!」
 ぐにゃぐにゃと形を変えるアメーバ状の影が、建物の外壁にへばりついている。細い節足が何本も突き出して蠢いていた。「あちら側」から洩れ出してきた異物、これが「敵」だ。
 たしかに〈シマトウ〉ならもう二回りは大きくてもいいはず。せいぜい〈タバスコ〉サイズか。
 わたしたち〈ペッパーミル〉は実力や経験によってランク付けされており、観測された〈チリペッパー〉の規模に見合ったランクの者が派遣される。毎回必ず正確に判断されるとは限らないが、速報に文句を言っても仕方ない。
「騒ぐな、集中しろ」
 目の前にあるのは中学校。事故が起こったことにして生徒や職員を避難させたはずだが、決まって何人か残っている。反抗や悪戯とは限らない。
 四階の窓が開き、虚ろな目をした女性がふらりと現れた。屋上の金網を乗り越えようとしている男子生徒も。いずれも自分の意思ではない。
 わたしたちはそれぞれ掌に力を込めた。グローブの内側から光が洩れる。
「もう〈チリペッパー〉が通過したあとか」
 連中は「こちら側」の生き物に接触しても感知されることすらなく、すり抜けてしまう。だがその際に痕跡を残していく。〈チリペッパー〉に「通過」された肉体は、一時的な意識の混乱を生む。被害者自身の言葉を用いるのならば「飛べる気がする」のだそうだ。その意識に理性も思考も支配され、高所から身を投げ出す。
「!」
 窓と屋上の二人が同時に転がり落ちた。半端な「盾」では間に合わない。
 わたしは両手をそちらへ向け、全精力を込めて空中に「網」を放った。常人には見えない光の網が校舎を覆う。〈チリペッパー〉を直接攻撃はできないが、人体を受け止めることはできる。
「助かるわ!」
 ブラウニーが陽気に叫んで駆け出した。
 わたしの網を足場にして身軽に飛び上がった男は、二階のベランダに飛び移る。そこから長い腕を伸ばして節足を一本掴み、むりやり壁から引き剥がした〈チリペッパー〉に飛び乗った。
 相変わらず無茶な接触だ。
 同時に、自重を乗せた拳で不格好な塊を殴りつける。防護用のグローブがなければ、自分の力と相手の質量で右腕が壊れるほどのエネルギーがそこに発生する。
 おそらく、予想が外れた憤りや苛立ちもあるのだろう。通常は相手の質量を削り取るように何度か攻撃していくものだが、たった一発の拳で〈タバスコ〉を消し飛ばしてしまった。
 これがブラウニーの肉体と、ガレットの力による威力だ。
 だが、落ちてくる彼の下にも網を張らなければならない私の身にもなってほしい。
「終わったぜ」
 心なしか自慢げな表情が勘に障る。今はこいつの達成感につき合っている余裕はないのだ。
「見ればわかる。早く〈クリームソーダ〉に連絡を!」
 被害者の処置に当たるのは医療の領域で、彼らに現場を引き継ぐまでがわたしたちの任務。今回は〈クリームソーダ〉の出動も早く、連携にさほど手間取らなかった。死傷者も出ていない。上出来といえるだろう。
 車に戻って一息ついたとき、敵を倒した男のグローブは未だ光を放っていた。
「早くそいつを収めろ」
「ぅるせえよ……」
 今日は自分でコントロールできないらしい。今回は相手が思ったよりも小規模だったせいで、自身の内側に「ガレットの力」が残っている。これが「暫時委譲」の不自由な部分だ。
「早く出せ」
「わかってる」
 助手席の男は両腕をコートに突っ込んで隠していた。
 ブラウニーとガレットの関係は複雑だ。
 わたしの力は、わたし自身の中に、常にある。バッテリー内蔵のポータブルライトといったところだ。わたし自身の健康によって給電されつづけているから、スイッチを入れさえすればいつでも光る。
 だがブラウニーの力は、例えるならば乾電池式の懐中電灯。ガレットから借りた電池を入れて光る。逆に電池を抜かれたガレットは、点灯しなくなる。
 つまりガレットはブラウニーを通じてしか〈チリペッパー〉に干渉できない。とても珍しいパターンだが、彼ら二人で一人ぶんの力を持つ〈ペッパーミル〉ということになる。わたしたちのようなコンビでもない。
「なあ……おっさんのとこに戻らなかったら、どうなると思う」
 シートに沈んだ長身が呻く。
「〈チリペッパー〉になって〈ペッパーミル〉のだれかに消される」
 電池を借りたブラウニーは随時最大出力が可能だが、使用時以外には抜いておかないと、電池でいう「液漏れ」のような不具合を起こしてしまう、らしい。だからできるだけ早くガレットの元へ帰さなければならない。
「おれなら〈ハバネロ〉クラスか?」
「冗談でも試すなよ」
 具体的に「液漏れ」がどういう状態かは、わたしも彼も知らない。ガレットは知っているかもしれないが教えてくれない。
 ただ、暴走した力が〈チリペッパー〉のように人間の生命を脅かす、とは聞かされている。本人も無事では済まないだろう。
 なのになぜ、危険な仮定を口にするのか。
「ガレットとの関係は、割り切ってるんじゃないのか」
 委譲の手段には、彼としても複雑な点はあるだろうが、あまりそういうことを気にする性分とは思えない。
「そういうんじゃねえよ。でもなんか、独り立ちしてねえ感じ……飼われてる感じっつぅか」
「わたしはそうは思わないが」
 そもそも、気性の荒い彼が他人の都合で動くこと自体が不本意なのだろう。横暴にふるまっているように見えても、彼なりに葛藤はあるのかもしれない。
 仕事仲間として、それ以上は踏み込んだことがなかった。今回も腹を割ってじっくり話す流れではない。
 事務所の前で車を駐め、預かっていたライターを差し出す。
「中で吸うなよ」
「わかってるって」
 ジーンズのポケットにジッポをねじ込んだブラウニーは、長い脚を車外に踏み出した。
「そっちも事故んなよ」
 こちらを見ず追い払うように手を振って、足早に事務所へ向かう。鍵は三人とも持っているから心配はいらない。
「おつかれ」
 背中に声をかけ、国道の流れへ合流した。
 今日の任務は完了。なにか食べて帰るかと考えたら、急に空腹が襲ってきた。この仕事は意外に体力面でも消耗する。今なら三人前は軽い。
 防御専門の自分さえそうなのだから、直接攻撃のブラウニーはもっと……。
「……どうだろうな」
 同じ〈ペッパーミル〉でも、特殊すぎる立ち位置ゆえに彼の「生態」についてはまだわからないことが多い。
 関係が密接なガレットのほうが、ブラウニーについてはよく知っているだろう。
 最たる理解者になぜ反抗的なのか、それがいちばんの謎だった。

 ◆

続きは『ペッパーミル・ザ・サブリナヘヴン』でお楽しみください。

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