自分は何者であれるんだろう
最近塾講をとても頑張ってるつもりなんですけど、
すごく自然にこんなことを思ったんですよね。
「〇〇先生にあの子の国語を教えてもらえたらめっちゃ安心やわ〜」
一見なんの違和感もないセリフだし、僕も何の気無しに言ったり思ったりしたことなんですけど、よく考えたらすごく問題発言だなって。
というのも、その発言のウラには
「(僕が授業するよりも)〇〇先生の方がいいよね」
って考えが潜んでたなってのに、ふと気がついたんですよね。
それって、
「〇〇先生よりも国語の指導においては劣っている自分」
を認め、妥協し、自己研鑽を怠っている自分が表出しているのでは?
この考えに思い当たった時に、変わることを諦め、変われることを信じられない自分を改めて認識し、すごく恥ずかしくって悔しくって、なんとも言えない感情に襲われました。
ちなみに、「改めて認識した」というのは、「どうせ変われない」と思って自己研鑽を怠る自分をこれまでも何度も指摘されてきていて、それでもなおその自分が消えていないことを認識したって意味です。
なんて情けない。
塾の講師として、学生団体のメンバーとして、いろんな場面で「変わらなきゃ!」って人に説いておきながら、最も変わることから逃げて、コンフォートゾーンに安住してるのは自分自身じゃん。
これに気付けただけでもよしとして、本当に、自分を変えていきます。
国語が得意なのは〇〇先生。
じゃあ自分は何者であれるのかな、何者になれるのかな。
コラム:あいみょんにハマりつつあるお話。
良い意味であいみょんのイメージが変わるこの曲。オススメです。
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