見出し画像

My Mummy's Dead

母が死んだ。
でもそれは突然にではなかった。今年の五月の上旬にいよいよだ、と介護施設に呼び出され、その二週間後には死んだ。
私は私の娘と一緒に介護施設に行った。母が死んだ日に。娘は小学二年生だ。
母は目を閉じていた。口は開いていた。私は母の頬にふれた。冷たかった。娘はまだ「死」というものにぴんときていない風だった。私もとくにその場で泣かなかった。

「ばあばは天国に行ったんだよ」

と私は言った。
その帰りは、介護施設のちかくの和食レストランで夕食を食べた。私は天ざる蕎麦を食べ、娘もお子様セットを食べた。
バスに乗り、駅に着いた。娘は

「あ〜、今日は楽しかった!」

と言った。いつもは乗らないバスに乗り、遠出をし、おいしいものも食べたからだろう。私はそれでいい、と思った。コロナ禍もあり、娘と私の母はそこまで会ってもなかった。赤ちゃんのとき会ったくらいだろうか。

帰り道、自宅のちかくで何かロケをしていた。このあたりはドラマなどの撮影につかわれることがおおい。いつもはない筈の電話ボックスが設置され、夜の闇に浮かびあがっていた。そういえば電話ボックスなんて長年つかってないな、と思いながら帰宅した。

それから一ヶ月が経った。簡易的な葬儀をし、山のような手続きをした。正直まだすべてが終わったわけでもない。遺骨もまだうちにある。母は離婚していて、はいる予定だったらしい霊園は問い合わせた結果、はいれなかった。またこちらで探さなければいけない。

死んだときは口が開いていた母だったが、葬儀のときには棺の中で口は閉じていた。葬儀屋の人がうまくやってくれたのだろう。母の遺体は火葬され、白い骨だけになった。私はその骨が何か美しいものに見えた。人間も自然の一部なんだ、ということが腑に落ちた。化石みたいな、流木みたいな、珊瑚みたいな、鍾乳洞の岩みたいな、結晶みたいな、そんな美しさだ。そういえば亡骸の顔も綺麗だった。母は美しい人だった。

私は母が死んだ日の夜だけ泣いた。決してうまくいっていた親子関係ではなかった。でもいろいろな思い出が交錯して泣いた。母を喪失したと思った。

それ以来はとくに泣いていない。私も日々を忙しく過ごしている。また泣いてしまうときもくるのかもしれない。そしてまたいろいろ思い出すのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?