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Cien Años de Soledad 1

 ガルシア・マルケスの百年の孤独ってなんかとっつきにくくないですか? ということで日本版でかいてみました。
(これは実験小説です)


 長い年月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、おそらく保瀬あつし大佐は父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない。
 馬古戸も当時は、先史時代の獣の卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけのちいさな村だった。

 ようやく明け初めた新天地なので名前のないものが山ほどあって、話をするときはいちいち指ささなければならなかった。
 毎年三月になると、ぼろをぶら下げたチンドン屋の一家が村のはずれに幕屋を張り、笛や太鼓をにぎやかに鳴らして新しい品物の到来をふれて歩いた。


 最初に磁石が持ちこまれた。手が雀のようにほっそりした髭っつらの大男で、喜八郎を名乗るチンドン屋が、その言葉を信じるのならば、古代中国の発明な煉丹術師の手になる世にも不思議なしろものを、実に荒っぽいやりくちで披露した。
家から家へ、二本の鉄の棒をひきずって歩いたのだ。


 すると、そこらの手鍋や平鍋、火掻き棒やこんろがもとからあった場所から転がり落ち、抜けだそうとして必死にもがく釘やねじのせいで材木は悲鳴をあげ、昔なくなった品物までが一番念入りに捜したはずの隅から姿をあらわし、てんでに這うようにして、喜八郎の魔法の鉄の棒のあとを追った。


つづく。かは未定。

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