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河野、春の甲子園始まるぞー

お前が死んでからもう1年か。早いな。コロナであっという間やったからな、この1年。きむも小俣もおれも、何も変わってないよ。相変わらず、あほなことばっかり。去年と違うと言えば、クラブハウスが流行ってることくらいちゃうか?

河野はいつもマメに報告をしてくれた。

「史朗さん、今年も甲子園バイト行くんで、飲みに連れてってください」

「バイト、あと1カ月でラストなんですよ」

「彼女、めっちゃ好きっす」

死ぬときだけは連絡なかったな。1年前の3月4日の夜中。もう日付としては5日になってたか。道路を無理に渡ろうとしたんかな。タクシーにはねられたって。連絡を受けたときは、意味が分からんかったよ。

朝日新聞の甲子園取材は、記者もバイトも激烈やったな。記者は尼崎のホテルに泊まり込み。キャップのおれは早い日は朝4時に球場入りや。朝6時半の試合前取材から始まって、遅い日は球場出たら22時くらい。んで、また翌朝は5時起き。ナチュラルハイになりながら、取材して原稿書いてを1日4試合繰り返していく。

それができるのは、お前らバイトがおるからや。

スポーツ部のバイトは間違いなく1番激しい。

朝7時に球場に来て、第1試合のオーダー交換を待つ。スタメンを受け取ったらコピーをして、特設の記者席、記者室、大会本部などに配る。第1試合の途中には2試合目のスタメンが出る。またコピー&配布。試合が終われば、公式記録をコピー&配布。試合の合間にはおれらの弁当を注文してくれたり、同僚からの差し入れを届けてくれたり。

ちょっと試合が膠着したときとか、記者席の片隅に座り込んで、うとうとしてたな。疲れるわな、そりゃ。

大会だけじゃなくて、大会前後の資料の準備や後片付けまで。

キャップのおれと同じくらい、甲子園の準備について詳しかったな。ほかの部員に聞いても分からんかったやろ?あんな煩雑な資料の準備、お前とキムにしかできんのよ。社員より詳しいわ、間違いなく。

一蓮托生。お前がおらんかったら、おれとか小俣はあそこまで取材に集中できてなかったよ、間違いなく。めちゃくちゃ感謝してるんよ。ありがとう。

そういえば、「大阪桐蔭の坂之下、ぼく地元が一緒で知り合いなんすよ」って言ってたな。

まさかお前が死んで1年後に、その坂之下をまた取材するとはな。すごいタイミングやな。3月4日、坂之下晴人を取材するんよ。

そうか、あれからもう1年か。。。

おれのLINEに「河野」が2人いてなあ。もう一人の河野さんに連絡しようと検索する度に、お前のLINEも出てくるんよ。変なアイコンも1年前のまんまや。

「大阪行ったらまた連絡するわ。メシでも行こう」

「了解です!また連絡させてもらいます!」

で、やりとり終わってるわ。

久々にしょーもない話しながら飲みたいなあ。キムに連絡してみるわ。

春と夏。甲子園のたびに、お前のことは一生思い出すんやろな。それでいいんやと思うわ。2年ぶりの選抜は2週間後に始まるわ。もちろん、おれも開幕から行く。今年はどこが勝つかなー。

河野快柊(享年22)は昨年3月5日に交通事故で亡くなった、僕の大切な大切な仲間です。
写真の右端のやつです。

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