源博雅が推しなんだよ私は。

陰陽師0、公開から約1ヶ月、ようやく観に行くことができた。
もうなんでもいい、博雅が好きな人は見に行ってほしい。
無骨で、ちょっとだけ無神経(人の心よりもその人の人生を慮ってしまう)で、けれど自分が知らぬモノをその人そのものとともに受け入れる男が好きな人は是非。

安倍晴明といえば野村萬斎、博雅といえば伊藤英明というイメージが常に頭の片隅にある。
初めて触れた陰陽師という作品が彼らが主演の映像作品だったからというのは大前提として、その後追いかけるように小説を読んでも脳内で再生されるのはやはりこの2人。同じ原作のコミカライズを読んでもそれが覆ることはなかった。
なんと言っても野村萬斎のゆったりと、しかし飄々とした演技が「人なのか妖なのか」という曖昧さで晴明らしさがあったし、それに振り回されつつも真のしっかりした武骨な男という伊藤英明の演技もまた博雅そのものという感じがあったからだ。

つまり、今回の陰陽師0で俳優陣が一新されて、少しだけ不安があったのだ(そりゃあ、年齢的にあの2人が演じられないのはわかっているのだけれども)。
山崎賢人や染谷将太の演技への不安ではなく、イメージが固まりきっている役柄を彼らの演技で見て、果たして彼らを「安倍晴明」と「源博雅」として受け入れられるのだろうかという不安だ。

例えるならドラえもんやサザエさんなどの声優交代の時のような違和感がつきまとうのではないかという……結論を言えば全くそんな心配は要らなかったのだけれども。

今回の晴明は「陰陽師」という立場ではなくその下の学生で、権力を振り翳してあちらこちらに行ける立場にはない。なんなら他の学生から離れてひとり書物庫に入り浸ってなにやら外国の書籍さえ読み漁ってるいわゆる偏屈変人なのである。
対して博雅は少しだけ情けなさが強いキャラになっていたような気がするが、優しさゆえのものだとわかるように描かれていた。
根幹にある彼らのキャラクター性は変わらずあって、晴明は博雅に救われ、博雅もまた晴明によって救われる。
一見するとかけ離れた性格なのに深いところでは似通った2人がすごく綺麗に描かれていたように感じた。

ところで、博雅が推しの私が、今回の博雅を「ああ、博雅だな……」と感じたポイントは徽子女王の件なのだけれども。
好いた女性を「自分が幸せにする」ではなくて「帝のもとのほうが幸せになれるのだ」と自分に言い聞かせて納得して、そして彼女にも納得させてしまうところ。
あの時代のことはあまり詳しくはないけれど、たぶん女性には決定権など(特に帝や身分が上の相手には)なくて、手元にある札でいかに幸せな人生を送るのかと言うゲームをしていかなければならない。その上でたぶんその最強の手札というのが帝への輿入れ。貴族の端くれ、その身に流れる血こそ高潔だけれども親も早く亡くして後ろ盾の心許ない博雅は、手札に残るような存在じゃない。気持ちだけで乗り切れる時代じゃない。
それを知っていて、理解して、納得することのできる博雅のこと、めちゃくちゃ推すよ私は……

そんな博雅だから、晴明の摩訶不思議な能力(これは知識や行動力全てにおいて)を理解不能としながらも「晴明」という存在を受け入れて「まあ、この男ならやるだろう」と納得する。あの戦いの終盤、晴明に信じろと言われて信じれないと素直に返すのも美しい。恐怖を前にしても自分を誤魔化さず嘘をつけない武骨な姿が、きっとあの蠱毒の中で他人を避けてきた晴明には何か特別なものとして映ったのではないかなと……勝手に思っている。

それから、戦闘シーン。
観ている最中にちょっと残念だなーと思うのがワイヤーアクションの「ふわっ」感。他の場面ではキレッキレの動きなのになんでここだけ「ふわっ」が残っちゃったの……?と思ってたのだけど。
時間が経って思い返すと、あの「ふわっ」が晴明っぽさ出てるな……なんて味を噛んでいる。
狐の子なんて言われて、実際人から離れたナニカの力を持っている晴明の先頭が泥試合一辺倒な訳がない。それまでのもみくちゃ戦闘だって、晴明ただひとりがどことなく優雅で舞っているように見える。
人だけどちょっとだけ。足の小指一本分くらい人の世の理から逸脱してるのならおかしなことではないな……と「ふわっ」の感覚を味わっている。

ダラダラっと書き殴っているけれど、結局のところあの陰陽師0の世界への没入感は映像美にもあるなと思うのだ。
セットの中で、少しだけCGを足したものじゃない。平安京にそんなものないだろうと初っ端は心の中でツッコミをいれてしまったけれど、この世界にはあれがあって当たり前と最後の方なんか「それこそこの晴明のいる平安京」と思って見ていたし、深層心理の世界は徽子女王の心の変化に合わせてこちらまで暖かな気持ちになったくらいなので。

まあ、なにせ、この陰陽師0と言う作品は、ちょっとでも気になるのなら見てほしいなと勧めたくなる。
とくに博雅のようなキャラクターが好きなら観て、推してくれ!と語り尽くしたい(そもそも私は博雅が推しで推し活の一環で観に行った)。

夢枕獏先生の小説と、野村萬斎版の陰陽師と、コミカライズを足して割って、そして少しアレンジを加えた今回の陰陽師0には「新しい陰陽師シリーズ」として続いてほしい欲がある。

また、山崎賢人と染谷将太の晴明と博雅に出会えますよう祈りを込めて。(この気持ちもまた呪なんだっけ?)

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