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大人になって本を読みはじめたら、若いうちに本を読めと言われていた理由がようやくわかった

私は、作品やその作品を創る人に対して敬愛の気持ちがある。
そういった愛着を持っているもの全てのおかげで、今の私があると本気で思っている。
今回はその中でも、読書の秋2020キャンペーンに乗っかって、私の思う「本」の良いところについて、語らせて頂きたい。

まず、私はずっと本が好きだったというわけではない。
小学生までは本が好きで読んでいたものの、中学生から高校生では他のことに時間を割かれて読まなくなった。
大学生になって、また少しずつ読み始め、社会人以降は、本を読むことが生活の一部となっている状態だ。
そんな私だからこそ、実感していることは「中学生から大学生の私が、本をもっと読んでいれば、今とは全く違った人生が送れていたかも」ということだ。
現状に大きな不満があるわけではないけれど、その後の人生を大きく左右する時期にたくさんの本を読んでいれば、望んでいたものがもっと手に入ったかもしれないし、自分をもっと早く肯定できていたかもしれないとも思う。
なぜそのように思うかというと、以下のとおり、大きく分けて二つの理由がある。

本 = 人の気持ちを想像するための土台

「本が好きな人」に付随するイメージについて、思うことがある。
「私は、本を読まないので」と誇らしげに言う人をたまに見かけるが、そこには「読書には内向的で暗いイメージがある、私は人とのコミュニケーションに時間を割く外向的な人間である」という意味を内包している場合があるような気がしてならない(もちろん全員ではないし、あくまで私からはそう見える時があるという話です)。
これは、一人で黙々と読書をする子どもより、友人と外で元気に遊んでいる子どもの姿の方に安心するなど、「内向的< 外向的」のような価値観がいまだに根強く存在することが原因だと思う。
余談だが、「読書」に限らず、一つの言葉にこびりついたイメージというのは、なかなか更新されないものだなと感じる。イメージを更新していくことほど、難しくて時間がかかることってないよなと常々思っている。

私は、外向するのに最も必要なのは「思いやり」だと考えている。
人を思いやるためには、人が何を考えているのかについて敏感にならないといけない。人間の心の内を、深く、かつできるだけ正確に知るための方法が、(心情を掘り下げた文字情報という意味での)本を読むことである。
例えば、悲しくてしょうがない気持ちでいっぱいになった時、もちろんその理由が明確に分かる時もあるけれど、当人でも、何が悲しいのかよく分からないことがある。人に発生するそういう気持ちを、丁寧に丁寧に時間をかけてすくいながら考察し、人の目に見える形にした物体が「本」だ。
私が人とコミュニケーションをとる時、自分の思っていることを全て正確に表情やしぐさ、声に表しているかといえば、もちろんそんなことはない。
意図的に隠すこともあれば、上手く表現できないこともあるし、そもそも自分の感情がどういうものなのか正体がつかめていない時もある。
そんな状態でも、何となく届いたと思える瞬間もあって、それを成り立たせているのは「曖昧さの許容」と「想像」だと考えている。
曖昧さを除去してわかりやすさに押し込めたり、想像が自分よがりで全く的外れだったりする状況を少しでも無くすため、本は大きな役割を果たしてくれる。

本 = 自分がどう生きたいかを深く考えるための土台

本の表現する対象は、「世の中の全て」である。
どんなにニッチなものでも、人間のすることや考えることを文章化してまとめたものだったら、全てが本になる可能性がある。
いろんな考え方の、いろんな生き方の人の本を読んでいると、世の中にはまだまだ知らない楽しい世界や、自分では思いもしなかった道がたくさんあることがわかってくる。自分と似たような価値観の人がいることもわかり、勇気づけられることだってある。
生き方に迷うということは多くの人に発生する問題だと思うけれど、そこで必要になるのは、一つの明確な正解ではなく、広い視野と自分を肯定するための土台である。
生き方を構築するものを探せるのは自分自身だけであって、構築には長い年月を要する。というか、一生かかるものだと思う。
その時々で進んでいる方向性に納得し、現状に満足し続けるためには、本を通して多くの可能性や考え方を知り、知ったことについて自分は何を感じたのかを考え続け、自分の望むものを見つけていくことが大切である。
一見すると遠回りのようだけれど、結果的には求める状態が手に入りやすい道なのではと思っている。
(加えて、道を歩くための行動力も、もちろん必要。)

20代前半ぐらいまで「若いうちはいろいろ可能性があっていいね」「本をたくさん読んだ方が良いよ」と周囲の大人から散々言われてきた。
当時は、あまりに多く言われるので挨拶のように聞き逃してしまっていたけれど、今になって本当にそうだったなと思う。
今からでも遅くはないこともあると思っているし、明るい未来なんてないと悲観しているわけではないけれど、現在このように考えることができるのさえ、多くの本からの影響だと思っている。
もしも私が若い子に何か言う機会があったとしたら、「若いうちの方がいろいろ可能性がある。だけどその可能性として、具体的にどういうものがあるかをまずは知る必要がある。だから少しでもたくさんの可能性を知って、普通に惑わされないで、好きなものを見つけたらいい。できれば複数の好きなものと、嫌なものと、抜け道も知っておいたほうがいい。そのために、本が存在している」と話す。
そして、生きている間に完成することのない私も同じように、これからもずっと本を読み続けるだろう。

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