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試訳:创作进行时(創作進行時)尹正編2020年夏③

Q7:以前あなたは二次創作のつくり手になれると言ってましたよね?
A7:アイデアがたくさん浮かぶほうなので。二次創作されたものを時々見るのですが、どれも驚くような内容ですね。早くから皆さんがアレンジした、蘇三省(ドラマ麻雀のキャラ・尹正が演じた)と汪曼春(ドラマ偽装者のキャラ)が同じ映像のなかに存在する動画を見ました。この二つの作品をひとつにできることに驚いて、夢中になって視てしまいました。
500年早く死ぬな(←意味不明)とても面白かったです。そして自分についての発見もあります。演技に役立ちますし、新しい突破口がありました。実際に、役者は想像力がとても重要だから。与えられたキャラクターを活き活きとさせる必要があります。脚本は方向性と考え方を提供するだけですから。ちょうど、あなたに一つの結論を与えましたね。例えば、こう脚本に書いてある。<商細蕊が大きなすね肉を食べる、持って、齧って> 彼がローストダックをどう食べるかについては何も書かれていないのです。豚足をどう食べるかも無い、豚足を投げたら食べられないでしょ?(←ローストダックからここまで意味不明)この時アイデア(あるいは洞察力)はとても重要です。最近、「阿郎的故事(邦題:過ぎゆく時の中で 1989 香港)」や「极连伝説(邦題:超速伝説 ミッドナイト・チェイサ 1999 香港)を観て、いろいろ考えたんです。イーキン・チェンの演じるスカイが、もし阿郎の時代にスリップしたら、8年後くらいにはスカイは兄貴たちの仲間になっただろう、とか、(ここから事故の話まで意味不明*)もし彼が(阿郎の)妻子との離婚も含めて阿郎を見たら、子供はスカイ自身で、最後のレーストラックで、事故を起こし命を落とすでしょう。それからスカイは再び1999年に戻って物語を続けるだろうか?たぶん、彼の物語はそうではないでしょう。彼は恋人と手をとりあって教会に行くことも、街道のドラッグレースを諦めることもできるし、彼はプロレーサーになることもできます。
 
*かなりの憶測をいれることになるが、ここは、スカイが阿郎の時代にタイムトリップしたら、阿郎の仲間になったかもしれないし、あるいは阿郎の息子になったかもしれない。そういう設定をしたならば、阿郎の事故死を見たあとスカイは1999年に戻って別の物語を続けるだろうか?いや、スカイという人物はそうではないだろう。また、スカイ自身も恋人と結婚する結末も、死のドラッグレースを撤退する、あるいはプロ転向の結末だってあるだろう。の意か?

Q:ほんとにあなたはキャラクターについて考えることが好きですね。
A:楽しそうにみえますか?とても楽しいですよ。こういうことを考えるほど面白くて仕方ありません。アイデアでいっぱいになります。そうでもなければ、どうして蘇三省は汪曼春と一緒にいることができますか?
Q:キャラクターは真実の存在だと信じていますか?
A:そう。信じています。ひとりひとりのキャラクターが、それぞれに自分の思考スタイルを持つ、ひとつひとつの独立体です。あなた(役者)は一つの乗り物で、キャラクターを載せることを了承して、彼をのせてギャラリーの前に立つ。それ以上はなにもない。
それから、、、とても煩わしいことを言いますが、脚本を改める、人物設定を変える、物語の筋書きを変えるのは、好きではありません。変更されたキャラクターは、もはや別の存在で、誰も望んでいません。書き換えられた人物はそこから自分の一挙手一投足を作り上げなければなりません。元の人物と書き換えられた人物が相談しあって、これこれこのように演じなければならなんだけど、協力してもらえますかって(*2)。

*2、原文では「兄さん、私と相談しましょう、そして私はあなたを演じなければなりません、協力してもらえますか?」という具合。

ドラマ映像)商細蕊:何が問題なんだ?頭を剃っても首は刎ねないよ。

A:書き換えられたあなたはキャラクターの世界で律するものなく生きることができます。(しかしながら元の設定は)最も安全なところであり、だからたとえ死んでも死ぬのはキャラクターであり、あなた自身ではないから、死も恐怖では無いのです。死を怖がるのはいつ死ぬかわからないからです。未来を予測するよりも、結末を知っているという安全感があり、だからこそ私は劇中で束縛なしに彼の人生を体験できるのです。


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