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王珮瑜(わんぺいゆ)台上見(たいしゃんちぇん、舞台で会いましょう)試訳6

05 覇王別姫

映画「覇王別姫 さらば わが愛」

演劇学校に入るのに苦労したので、かなり野心的になっていましたが、実際には当時京劇にこだわっていたわけではなく、先生を信頼していたからという方がウェイトを占めていました。先生方が余叔岩の芸術は世界で最も美しいと言われたので私はそれを信じ、心から崇拝し一生懸命学びました。この点において、私は無知でしたが正しい道に入ることが出来た、実に幸運でした。
幼少期から六歳年上の兄にくっついてスターを追っかけ、テレサ・テン、アラン・タム、レスリー・チャン、マイケル・ジャクソンまで、、、後に兄のスターはクリンスマン(サッカー選手のユルゲン・クリンスマン?)に変わり、私だけレスリー・チャンを何年も変わらず追いかける熱心なファンでした。
レスリーは歌手を引退してまもなく、映画「覇王別姫 さらばわが愛」に出演し、名女形・程蝶衣を演じました。
映画は演劇学校二年目の年に公開されました。当時は比較的小規模の文芸作品とみなされ、見に行くのは大多数がレスリーファン、それとわずかな梨園の人たちでした。
週末の午後だったことを覚えています。自転車で一人で映画を見に行きました。映画の印象は、長くて暗かったです。正直に言うと、レスリーファンとしての満足感はあったものの、映画で何を言ってるのかわかりませんでした。
その後、李碧華の原作小説(完全版)を買い、章ごとに映画と比較し、クラスメートと一緒に映画全体を再現できるくらいに読みました。
この映画で最も印象的だったのは、程蝶衣たちの師匠の言葉で、「人と生まれてこそ芝居を観る、芝居を観ないものは人ではない、犬や猫は芝居を観ない、お前たちは良い時代に生まれたのだ」でした。私の感覚は多くの映画ファンと異なるようで、最初は「人は自分の運命に自分でかたをつけなければならない」や「一年でも、一ケ月、一日、一時間でも欠けたら一生とはいえない」という名セリフに惹かれることなく、ただ、あの師匠の残酷な表情はしっかり覚えました。
当時は、学校の訓練が一番辛かったころで、毎朝夜明け前に起床、文化広場をマラソンしたあと、様々な柔軟訓練がありました。基礎訓練の先生は私たちを二人一組にして、背中合わせにします。床に座って互いの脚を縛り合わせるのです。股関節の硬い人の一人だった私は、いつもこの時になると生きるか死ぬかの苦しみを味わうのです。今でもよく覚えています。同級生同士を縛る訓練が必要なのはなぜでょう。自分の一時的なリラックスのために背中合わせの同級生を苦しめても構わない心をもった子がいないからです。残酷な訓練は、劇団内で互いに寄り添う兄弟愛を育みます。(映画のなかで)小石頭は小豆子のいましめを緩めてやったために自分が師匠に殴られましたが、この小石頭の優しさは一生覚えておくほどの価値があります。
映画「覇王別姫」は長い間私を励ましてくれました。困難に直面した時、目の前には二つの道があります。小癩子のように逃げを選ぶか、最後まで歯を食いしばっていつか覇王のような大役者になり、人力車にのり、豪勢な食事をするような人物になるか。映画には数人の芸術家の人生が浮き彫りにされています。どうあっても痛みから逃れることは難しい、それなら、激痛の代償を払っても生きたほうが良いのではないでしょうか。私が京劇の道に入ったのが神さまの導きなら、先生方の一歩一歩の足跡をたどり、信じ、ひたむきについて行こう。
十代の最も混乱し困難な時期に、この映画は私にある種のエネルギーを注いでくれました。芝居とは人生の断片を組み合わせてできていること、それは強烈な儀式のような感覚をともなうもの、人々はその儀式で精神的な浄化をえること。
そうして私はいささかの道理を得ました。自分の辛さをもって舞台への敬意をあらわすことです。
「実際の人生と芝居の区別がない」は善悪と関係がなく、少なくとも、芸術的な表現のためには有益だと思います。

映画覇王別姫での子役さんと、レスリー・チャン

映画で京劇の化粧を担当した宋小川さん(左)、宋さんと王珮瑜は知己。

参考資料:中華電影的中国語「さらば、わが愛 覇王別姫」中国語・日本語対訳シナリオ集 陳凱歌・著 水野衛子・訳 キネマ旬報社刊 1996年5月初版

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