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シロクマは勘定に入りません

本日、7月30日にSF創作講座最終候補の発表がありました。本来はその前に下の記事をアップしたかったのですが、間に合わず、しかもまだ全て終わっていません。
書こうとした動機は、このところどころで書いているように、一年間梗概未選出の辛さを味わいながら最終作を提出した仲間へのラブレター的なものを書きたくなったからです。
聞き逃しているかもしれませんが、昨年のような最終講義だと最終選出者以外は数名の惜しかった人をあげ、ダールグレンラジオでも、選出者だけの話だったと思います。もしかしたら、今期は無かったゴッドガンレイディオではフォローがあったのでしょうか。というわけで、一年間書き続け、さらに最終作まで辿り着いたのに、一言も言及されないと、自分がそうなると思っていたのですが、これはSF創作講座にいた印が無いじゃない?ということで、自分のためも含めての記録を書きたくなったからです。下と同じ事を書いている気がしますが。またたいした感想になってない、ぐだぐだですが、まとめたぶんを例によって読み返しもせずにアップしてしまいます。


---ここから10日くらいかけて書きためたいた恋文のようなもの---
すでに提出済みのSF創作講座の最終実作の中で、9回の梗概提出で、一度も選ばれていない人の提出が12作あったのです。これってちょっと凄いことではないですか。といって過去全てを調べる気力はないのですが、おそらく過去最大級ですよ。本当はわたし自身も、最終提出作で且つ梗概未選出者って、五つか六つくらいだろうから、ちょっとその感想だけなら、書けそうじゃない。と思ったけど大間違い。
そして、どうしてそんな区切り方するの、迷惑、ぷん。!と12に入ってしまった人もいるかと思いますが、そのたったひとつの理由を、その中の一人のわたしが言いますと、SF創作講座に参加した記念です。あるいは記憶とか記録とか。それ。実際にはtwitterでは、今までのように何度も選出されている作品がとりあげられていますし、また宇部さんが、全作品の質について論理的にそして書き手としての共感点などを整理されています。なので、そういう観点での感想とはたぶん違う、一年間の講座の結果、こういう最終提出作になったというのをわたしは、こう見届けましたよ。という記録です。本当はそこにいろいろ補足すべきことも多いのですが、すでに長くなっているので、最後にでも気力があれば付け足したいです。


1.藤 琉「螺旋のどん底」
梗概を読んだとき、ラストの「自衛隊が出動、豊洲市場で激しい戦闘、天皇の意識細菌カプセル、タケルは息を引き取る。海鳥が飛び立つ」に、個人的に燃えました。俄然わくわくしました。もう全然映像が作れないけど、これは、藤琉さんの中で「決まっている」映像なんだなあ。と勝手に考えていたのですが、いろいろな意味で梗概から手を入れられた実作でした。
そもそも、シジューサ、レフターって名前がおかしく、英語ならどうなっているんですかね、と思いながらも意味を連想しやすい。そして毎回、藤琉さんは社会のシステムを重視した物語を作っているけど、今回はさらに今世界で起きている出来事を連想せざるを得ない作り方になっていました。
それは、意識して取り込んだ要素なのだろうけど、たぶん藤琉さんは、何時でも何を書いても現在を書こうという意識を持った人なのだと思いました。わたしがそれと等価で、わくわくした記述は料理の描写ですね。ここを丁寧に書くよね。と頷きながら読みました。
中編の50000字弱というのは、長いようでやはり、それほど多くは詰め込められないからか、現代人類史レポートとして、作り込みをされた社会システムを説明しているのは、一つの方法だと思いました。しかしここの文章は、「CIA東京支部所有 部外秘」の公文書というより、小説の説明体になってしまっているのでは。。。と思う一方で、いやいやこういう体で強引に説明してくれているので、読み手のわたしは理解できたのかもしれません。え、どっち?
ミツアキとショウタが後半随分登場しなくなって、本当の最後の最後に登場する構成にしたのは、どうしてだろうとも思いました。この、自分が自分と会う。というのは、わたしも使ってしまったモチーフなのですが、藤琉さんのは、そのもと自分を仲間は「死刑にしてほしい」と言わせる。そして、対処について考え続ける主人公、という構造は、想像を働かすととても刺激的で良かったです。そして、毎回藤琉さんの社会に対する優しさを感じて楽しかったです。藤琉さんも、これからもこんな風に社会に対する自分の気持ちが入った作品を書いていってください。

2.夢想 真「蘇る悪夢」
実はわたしは、物語を語る作ることにすごく無頓着です。殆どプロットも作らず、提出があるから梗概を書いているのですが、実際には実作を書くときは梗概を全く見ません。ただ、ユング的なあるいは河合隼雄的な?自分の中身が書いてくれることに任せているだけなので、夢の物語にはかなり前のめりになります。そして、やはりとても面白かった。
おそらく、書き方で伝わりづらくなっているのかもしれない。しかし、夢想真さんが、夢中になって記述している勢い。夢想真さんの頭の中で出来上がっているシーンの進め方に、読み手は置いてきぼりをくうのかもしれない。まるで、アドベンチャーゲームのような地の文が連なるけど、そこで起きることはとても刺激的だ。不幸な男/夢をコントロールするのは夢に出てくる者なのか/夢を渡り歩く男/過去の夢に移動できる/思い出せない過去/100年前の行方不明者は自分/などなど、現実を揺さぶる夢がとても魅力的だった。しかし。しかし、この唐突なラストは、何だろう。意図的な抜けたオチなのだろうかと、しばらく考えてもわからないけど。文章は普通に小説を読んでいる人には、小説らしくなさを感じさせてしまう説明調だけど、夢想真さんは、夢想真の最高のホラーを極められれば、どこかで、新しくオリジナルなスタイルが得られるのではないでしょうか。

3.古川桃流「ファントム・プロパゲーション」
古川さんの梗概は、最初はなかなか意味が掴めなくて、「わからないよお」と呟いたりしてしまいました。実際、古川さんとは同業っぽいのですが仕事力が無かったわたしには、たぶんキーになる単語の意味がわからなかったのです。きっとそれが原因で梗概から物語をうまく読み取れませんでした。それが、何時の頃からか、提出作意外に、頻繁に梗概をTwitterで上げてこられると、毎回毎回物語としての「おいしさ」が増してくるのです。あー、やはり野球でも語学でも営業でも創作でも「百本ノック」は大切なのかと、感心したところでした。しかし、また最近の情報ではこの梗概練習の裏にN氏のアドバイスがあったとか。N氏って誰だろ。すごいな。「N氏のフィードバックは一貫性があって、論理的で、再現性があった。」すごいな。全く自分と縁遠い能力のある方だ。しかし、このN氏の功績抜きで、ひたすら梗概を書き続ける。あるいは直し続けるというのも、一つの回答方法なのかもしれない。古川さんや理系の人が開発手法をヒントにするというのも頷けます。さらに、最近古川さんの写経報告も気になります。そこから自分で文章の構造分析をするところが凄い。と、いろいろ気にはなるのですが、なるは安し行うは難しで、自分にはなかなかできないような気もします。しいていうと、ここ数年のわたしの日常は中国語会話に覆われているのですが、それだけ無く、この感想を書く以外ここ数ヶ月中国語ばかり打っているので、ことばの作り方出し方もいつかは中華風になってしまうのかも。
で、「ファントム・プロパゲーション」ですが、これは梗概を少し変更したでなくて、全く別のアイデアですよね。その、“高齢者はアリスのリハビリ機能でクイズに答えていると思っているが、実際にはオタスケの単純労働を無料で担っていることになる。正解率の低い高齢者の回答は正解を出せるようになるまで、正解データをバックプロパゲーションしている。高齢者を学習させていた”ここの、アイデアはとても面白い。面白いけど、そこから、新山が進めていく作業をアーバンケア社が無防備に気づかないということがあるのかしら。とか、せっかく魅力的な大橋のキャラもクラウドソーシングの利用を知らせるためだけで、事故から物語に登場しなくていいのだろうか、などなど、いくつかのはてなを持たせつつも、終わらせ方は好きです。とても小説らしい美しい文章になっていると思いました。なんだろう、この素晴らしさは古川さんの体験が絡んでいるのか、古川さんの肉親への愛情が漏れたものなのでしょうか。本当にきれいな言葉だと思いました。これからも時間を見つけては写経や、あるいはまた何かまたそそれられるような小説のための新しい訓練を着々と続けていってください。Twitterの柱からのぞかせてもらいます。
と、古川さん宛に書きながら、果たしてわたしは、これから書くのだろうかと怪しくなってきました。

4.よよ「うつろね」
よよさんのアピール文にある「書いてみて、なんだかスッキリしました。潰れたってきっと立ち直っていてくれるような気がしてきました」の、潰れたっては、主人公というより、よよさん自信のことだと思うので、それはめでたく、よかったよかったと思いました。でもその前半の「女性の、女性に対する嫌悪」という構造は、今回の実より、前回の梗概ではストレートに現れていると思いました。ただ、梗概のすんなり読める物語は、この時代設定の人間関係では成り立たないようにも思いました。そして実作になると、「スズシの代わりに男宮の元に行くことになったシオン」ではなくて、辱めを受けていなくなってスズシを思うという変更が、嫌悪という感情は感じづらくなったように思いました。ただ、梗概から実作への変化の経緯はわかりませんが、作者が書きながらより、「立ち直っていく主人公」側への暗示と物語が変わっていったのでしょうか。ただ、この時代の性的、あるいは男女的価値観の出来事ではないようにも思ったのですが、それはそれで、現代の「女性の、女性に対する嫌悪」として、置き換えればいいのかもしれません。何よりも龍で始まり龍で終わる。これこそ物語ではありませんか。と強く頷きました。よよさんが、本当にこれからもたくさん色んな物を読んで、たくさん書いてくれますように。

5.品川必需「ムキムキ回転SFおじさん」
品川さん作品については、いろいろ書きたいことがあったはず。この、「ムキムキ回転SFおじさん」に文句を言わせてもらえれば、ラストでカツラをすててしまうところでしょうか。「お前は諦めなかったのに。ごめんな」って、なんかスーツ着て玄関を出るって、きれいにまとめているラストみたいだけど、これって真逆なバッドエンドと呼びたい終わり方だよね。亡くなった奥さんへ「ごめんな」じゃないだろと思うわけですよ。アピール文から読んだから、そのテンションの逆で静かに夢を諦めるのは、どうなんですか。と机を叩こう、と思って、いやいやとも思ったのです。まあ売れなくても、というか絶対売れないでしょ。それでも、60になっても、70になっても、老人ホームに入っても、死ぬ間際でも笑いをとりつづけるんじゃないのか。と、それこそ勝手に想像してしまうけど、またそれって実際どうなのよと思うのです。ここでムキムキ回転SFおじさんとは自覚的か非自覚的かわからないけど、品川さんを投影していると思うのです。
売れないまま、死ぬまでやり続ける方こそが、格好よすぎなのかもしれない。と、品川さんへ勝手に、いつまでもプロペラつけていてください。っていうのは違うのやもしれない。と、、また勝手に自分に置き換えて思ったり。わたしはこれから、本当に書き続けられるだろうか。と思うのです。品川さんのアピール文にある「誰と戦ってるんだ俺は。誰だ、俺の敵はどこにいるんだ?」は、そのまま。このまま、何度も呟きました。それは、たぶん第一作の梗概批評のところで、直感したのかも知れません。それはそれなのだけど、直感は直感なのだけど、毎回毎回梗概も実作もスルーされ続けると、自分の想定以上に文章も発想も酷いものなんだな。これってどうする?と自分に聞きながら一年、自分で自分をごまかしながら続けてきたような気がします。って、品川さんの実作ってもしやそういう物語ではない?大丈夫です。真琴は、きっと筒井康隆の方の真琴です。真琴すごい。

6. 九きゅあ「デスブンキ ヌーフのダム」
はい。九きゅあさんこそ、あれですよ。わたしの気持ちがわかる。わたしこそ九きゅあさんの気持ちがわかるかもしれない。一度も梗概選出されなくて、全実作提出者ですよ。きちんと数えたわけではないので、たぶん。九きゅあさんが男なのか女なのか、プロフィールにある、「スクール史上最もゲンロンから程遠い受講生」という説明が、北極在住のような住所のことなのか、スパイ業務のような特殊仕事のことなのかわかりませんが。物語の世界観が奇妙な変わり方をしていて、え?と何度か読み返さざるを得ないところがあるのだけど、わたしにはどれもSF感を強く感じました。たぶん、きちんと構成を積み重ねて書かれた物語性も感じました。うほっ、これは、どういう人なのだろうと興味がわくものの、よくわからないまま、静かに最後の実作まできてしまいました。
梗概を読んだところでは、何だかクリストファーノーランのような、TENETか。インターステラーか。というくらいスケールの大きさを、例によってよくわからないまま感じました。とくにアピール文にある、「ゲンロンの社長交代の出来事が印象に残っていて、代わりがいることの大切さを自分なりに解釈」という関連が全くよくわからいまま、実作へ。
今回も、奇妙に設定された世界観はとても興味深かったです。またこの世界を作る人物名や、場所の名前、それらが呼応する名称などから、各章名にまで凝っていて楽しめました。またおそらく、わたしが気づかないような設定がいろいろ作りこまれているのかとは思いました。めまぐるしく発生するイベントのような、冒険活劇も面白い。記述で多用される、「ちょうどその時、とその時、のように見えたが」は、小説というより、やはり漫画やアドベンチャーゲームを思わす展開が続きます。それはそういう表現でもいいのですが、九きゅあさんが確信を持って作られている世界観に、わたしは後半理解できなくなってしまいました。分岐と継承に関わるフォーカーを巡る五つの設定は面白いし、国会から黒海のボスポラス海峡のダムへ。それも地下鉄に乗ってというあたりの活劇は楽しめたのですが、「朱」の長い議論からついていけなく、もやもやとしたまま読み進めることになりました。それは、わたしの読解能力の問題なのですが、九きゅあさんが確信を持って物語を進めているだけに、読み手の力不足が申し訳ないです。あれ。同時にこれって、もしや自分の書いた物語も、そういうことだったんじゃない?と、突然ですが自分の諸々を反省するしかない。
小説の最後の「物語を創ろう」から「方舟」という流れはきれいだとは思いましたが、その物語が完成するとたんに、デスブンキが消失したというの部分の五行が急すぎてもったいない感もありました。
と、やはり読み終わっても九きゅあさんって、どういう人なんだろうという疑問を抱かさせられました。確かなことは、九きゅあさんのプロフにあるように、きっとこれからもこの実作を修正したり、あるいは新しい物語を書き続けて確信を持って進んで行くのでしょう。

7. 泡海 陽宇「晴れの海から、泡宇宙へ」
たしかに、泡海 陽宇さんがプロフに書くように、部分的なシーンや詩を書いていけば、いつか、その先には好きなもの夢いっぱいつめこんだロマンチックSFができると思います。
たぶん、今回の実作は、物語の冒頭になるのしょうか。プロローグの情景描写があって、人物の紹介もきちんとされていました。あとは、泡海さんが、一方でもっとたくさん好きな場面や詩を続けて書いていけば、いくつもの物語になっていくと思います。そういえば、わたしもまず全体の物語より、場面を想像して、ただただそれを思いつきで繋げていくだけの作り方でした。それはおそらくいい方法ではなかったかもしれませんが、少なくとも、書きながら、わくわくする感じは持てたように思います。トライ&エラーで、たぶんわたしは、エラーばかりを続けてしまったような気がしますが、またトライをしてみなければ。

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